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大切なものなんていらないのではないでしょうか?

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有り難し有り難し 26

大切なものがなければそれに関することで悩まない、繋がりこそ悩みの原因だと思うのですがどうなんでしょう。

例えば私は制服を見る度に死にたくなりますが、制服を見る目を潰せばこんな事で悩ま無いんじゃないかとふと思ったりします
もちろんその後は別なことで悩みそうですが。

実家は農家で畑が身近です、県外で生活していますが、私は畑が無くなるのが怖いのです。
今まであったものが無くなるのが怖いのです。

農家に生まれてなければこんな事で悩まなかったんじゃ無いかと考えて眠れません。
継ぐのは難しいと思います。

そして矛盾してますが大切なものが無くなったとき、重い荷物が下りた気持ちが勝るのです、
恐らく畑が無くなったら楽になると思いますが継げなかった罪悪感を抱えて生きることになるのでしょうか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

必要以上に固執しないことを学びましょう!

質問読ませていただきました。

さて正直なところ、茄子さんの質問の変化に驚いております。
これまでは、ご自身の過去ばかり見つめてそれに固執し、全く先を見ようとはされていませんでした。
しかし、少しずつ先を見ようとされています。「大切なモノを失う怖さ」というのは、自分の未来を見つめようとしなければ、浮かんでこない感情ですから。
その意味において、少しずつ心が前に進んでいるのだなとありがたく思っております。

さて、おっしゃるように誰しも持っているモノを失うのは怖いものです。
畑に限らず様々な財産をいつか失うかもしれないし、何より自分が死ぬときにはあの世に持って行けない。
また年齢の順序で言えば、自分を生んでくれた親は先に亡くなるので、いつかは死に別れなくてはならない。
もしくは、大切な友人や恩師も自分より先に亡くなるかもしれない。
他にも色々ありますが、何かを手に入れる(持っている)ということは、それを失うという怖れも含んでいるのです。
ただし自分が積んだ功徳は、たとえ自分が亡くなろうとも失いませんが、その話はまた別の機会に。

持っているモノを失ったり、大切な人と別れなくてはならなかったりという苦しみが待っているなら、「最初から何も持ちたくない!」という気持ちはわからなくもありません。仏教でも「人として生きることは、そういう苦しみを伴うことで、苦しみの世界だからそこから抜けだそう」と説きます。

しかしそうは言っても、なかなかそこまで達観できません。人は社会的動物と言われるように、たくさんの人との関わり合いで生きています。その中で様々な縁を結び、大切な人も出来てくるでしょう。そして色んなモノを手に入れます。
そして何より、人は最初から何も持っていないと欲しくなるのです。それは茄子さんも「素敵な青春が欲しかった」という過去の質問からも実感されるでしょう。

ですので最初から「何も持たない」というよりは、色んなモノを持ってみてそれらを生きる糧とし、その上で必要以上にそれらに固執する気持ちの愚かさというものを学び取っていければ、人生という「自分が実際に生きている場所」に応じた考え方となっていくのではないでしょうか。

畑が無くなることについては、理由がわかりませんので何とも言えませんが、よく考えた上で茄子さんが一番納得される選択を選んでみて下さいね!

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京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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つながり

拝読させて頂きました。
あなたが生きた証としての様々なつながりやあなた自身の心の成長は決して消えることはありません。あなたがその天寿を全うなさっても一緒に持っていくものです。
失うものは目に見えるものやうわべだけのものです。
ですから決して悲観することはありませんし、悲しむことはありません。
畑もあなたのものではありませんよね、畑から様々ないきものとのつながりの中でたくさんの恵みがあなたや皆さんにもたらされていき、また次の世代やいきものたちに引き継がれます。それをつながりと言いますし、ご縁と言います。

あなたがそのようなつながりの中で皆さんと一緒にお健やかに生き抜いていかれて、そのようなご縁を大切になさりながら日々を豊かに生き続け天寿を全うなさっていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。

再度拝読させて頂きました。
あなたにとって本当に大切なものとは決して失うことはありません。あなたが天寿を全うなさった後も失うことはありませんからね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
失うことを気にしてもしょうがないという事ですね。

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