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苦しみがあるおかけで幸せを感じることができる?

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有り難し有り難し 23

いつもお世話になっています。

きょう、学生時代の慣れない集団生活の夢を見て気分悪くしながら起きたのですが、起きた瞬間夢で安心しました。

今の現実は自由で集団生活に縛られないからです。

そこで思ったのですが、苦しみがあるおかげで幸せを感じることができるのではないでしょうか?
私は子供の頃は貧乏でアパートに住んでいたのですが、そのおかげで今は一軒家を買って住んでいるのですが凄い幸せです。

これを考えると苦しみも幸せを実感させる要素として必要なのかなと思えるのですがお坊さんの意見を聞かせていただければと思います。

いつも親切に回答していただき本当にありがとうございます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一切皆苦

ご相談拝読しました。

>苦しみがあるおかげで幸せを感じることができる

というのはもっともなことだと思います。苦労があったからこそ、それに比べてみると幸せ(楽)を感じられたり、現状に感謝出来たり、また現に苦しんでいる人にたいして思いを馳せられたりということはあるでしょう。

しかし仏教的に考えるならばそれは苦に対して比較し感じた楽であり、それもやはり苦であると考えるのです。

苦苦(くく):苦痛を苦とすること
壊苦(えく):楽が去ること・崩れること・変化することに感じる苦

相対的な楽というのはその相対する諸条件に条件づけられた楽であり、条件の変化によりやがて壊れてしまうものであるのです。

よって

行苦(ぎょうく):作られたもの(条件づけられたもの)、つまり生存していること自体が苦(思い通りにならないので不満足である)

ということに至ります。「一切皆(行)苦」ですね。

だから仏教は不苦不楽の中道を説きます。条件づけられた楽ではなく、苦楽の二辺をはなれた中道、究極的には涅槃ですね。

しかしどうでしょう、私たちはそういう境地に達することが出来るでしょうか。

もちろん仏道本来はそこを目指します。でもそうできない我が身のために用意された仏道もあるのです。

不苦不楽に達することはできなくとも、今自分が感じている苦楽は苦なのだなと、でもそれに執着する我が身もまた捨てられないのだなと知らされるからこそ現実を問うていける道です。

ですからあなたの苦労はけして無駄ではないのです。現にあなたが苦労を通して今について考えられているのですから。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

幸せは比べるものではない

 こんにちは。
 うーん、そういう幸せの感じ方もあるかもしれないけど、比べる幸せは本当の幸せではないと思うよ。今は自分の中で比べているけど、これが「あの人に比べたら」などということをはじめると、差別思想にもつながります。

 私も集団行動が苦手ですが、そのイヤな集団行動の中でも、楽しい事があります。なくてもがんばって探して「ああ良かった。幸せ」と思うようにしています。
 また貧乏やアパートがそのまま不幸という事ではないでしょう。その生活のなかにかけがえのない大切なものがあったのではないでしょうか。
 比べるのではなく、どのような状態にいても、今幸せであることに気がつく事だと思います。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

お二人の回答を見て私はまだまだ人間として未熟であることを理解いたしました。
比較は本当の幸せではないというのはおっしゃる通りで、知らずしらずのうちに私は比較思考になっていました……。

本当に勉強になりました。ありがとうございます。

比較して幸せを実感するのではなく、今に感謝して生きたいと思います。もちろん頭ではわかっていても実践するのは難易度は高いですが。。。

それにしてもハスノハのお坊さんは素晴らしいですね。こういう質問でも本質的な回答が返ってくる。

しかも反論の余地がないだけに私の未熟さを知って逆に気分が良いです。

ご回答に深く深く感謝いたします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ