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大切な親族を亡くして

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

ハスノハのお坊さま方、運営の皆さま、このような場をありがとうございます。
初めて質問します。

先月、叔母の一周忌を終えました。私が生まれた時から側にいてくれた、大切な存在でした。私は叔母と時間も忘れてよもやま話をするのが、幼い頃から本当に大好きでした。

叔母が亡くなってからの一年は、自分でも不思議なくらい、何も感じずに過ごしていました。その間、ハスノハで大切な方との別れについての問答もたくさん拝見しました。

でも、逆に一周忌を終えたら突然辛くてどうしようもなくなったのです。仕事をしていても涙が止まらなくなります。歩くにも足に力が入りません。

世の中で一番気の合う人が、生まれた時から叔母という立場で側にいてくれた。私は恐ろしいほど恵まれていました。でももうどこにもいないのです。

もう会話できない。言葉が返ってこない。話したいことが胸につかえて苦しいです。

人はいつか必ず亡くなる、二度と会えなくなる。頭では分かっているのに、どうしてなのかと怒りにも似た思いに囚われてしまいます。

せめて落ち着いた気持ちで、冥福を祈りたいのですが、とてもそんな状態にはなれず、自分自身に振り回されています。

質問というより、助けてくださいと申し上げた方があっているかもしれません。こんなに容赦のない、どうしようもないことがあるとは思いませんでした。混乱して、何をどうしたら良いのかわからないのです。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

哀しみには出口がありますよ。

ささら 様 相談ありがとうございます。

叔母様のこと、お悔やみ申し上げます。
一周忌が終わって、哀しみがこみ上げてきた。襲ってきた、がふさわしいかもしれませんね?
そんな状態でしょうか。
これまで、親しく愛されてきた叔母様がお亡くなりになったこと
おっしゃる通り頭では解っていても、心では受け入れていなかったのでしょうね
一周忌が終わって、心で受け入れが始まったという状態なのかと思います。
哀しければ、泣くだけ泣き切ってください。心にフタをしてはいけません。

親しい人がお亡くなりになって本当の哀しみがやってくるのはしばらくたってから
というのは、よくある事ですし、誰にでも起こり得る事です。
なので、泣き切ったら、必ず哀しみには出口があると思って
泣きながらも自分のことは、心配しないようにするのが良いと思います。

そして、一周忌も済まされたことなので、叔母様の供養もされているようですから
叔母様も喜んでいると思って、日々、お家の仏壇とか、お墓とか、お寺とかで
祈りを捧げてください。
「そんな状態になれない」とありますので、まずはできる範囲で、無理のない程度で
祈りをささげることを続けてください。きっと叔母様への感謝の声が届いて
叔母様から何らかのメッセージを受け取る時が来るでしょう。

もしどうしても、欝の状態まで落ち込みそうでしたら
グリーフケア専門のカウンセラーに気持ちを傾聴してもらうことを
お勧めいたします。
対面式で穏やかで温かい雰囲気の中で、気持ちを聴いてくれると思いますので
心が落ち着いてくると思います。
検討してみてください。

あらためて、叔母様の冥福をご祈念申し上げます。
そして、もし、余裕ができたなら、祈ることと花を捧げる事をしてみては如何でしょうか
叔母様にも自分の心にも好きな花を届ける、
自分の好きな花を生けることを自分にもしてみる。そうすると、
優しい光が心に差し込んできますよ!!
試してみてください
お読みいただきありがとうございました。
合掌礼

追伸。御礼メッセージありがとうございました。偶然でしょうか水仙の花言葉は、神秘・尊敬・自己愛とあるのだそうです。叔母様とささらさんが愛情で包まれたようですね。再礼

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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

釋様

ご回答ありがとうございました。お寺のHPも拝見しました、悲嘆のプロセスというものがあるのですね。

私はガーデニングが好きなのですが、叔母は庭の手入れをする私を、自分は日差しや虫が苦手なのにも関わらず楽しそうにみていたなと、懐かしい眼差しを思い出しました。

そういえば、介護やら看取りやらで数年放っておいたにも関わらず、今年も水仙が芽を出してくれていました。涙は変わらず止まりませんし、この先の不安もありますが、花が咲いたら何本か切り花に頂いて仏前にお供えさせてもらおう、また綺麗な花を庭に咲かせていきたいと思いました。

本当にありがとうございました。

追記
いただいた内容を繰り返し読んでいます。
私は会話だけにこだわり過ぎていたかもしれません。

叔母は私にお喋りの楽しさを教えてくれましたが、でも言葉のやりとりだけではなく…それだけではない何か、何かわからないのですが、かわしていたのは言葉だけではないというか。言葉はなくなったけれど、そこにあった何かは今もあるような気がするというか…。

苦しくなる波は当分続きそうですが、明石の浦は月がきれいだろうなぁと思いつつ、ゆっくりと東北の春を迎えることにします。また行き詰まってしまったら、ハスノハに相談させてください。ありがとうございました。

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