親の死
母親の死で後悔というか懺悔したい事がありすぎて
どうしたらいいか分からないです。
母は病気だったのですが
母が一番苦しんでいる時に寄り添ってあげなかった
むしろ、私は母が一番不安な時に冷たかった・・
断れなくて苦しんでいる母を置いて初詣に行ったり
パソコンしたり・・
母との最後の時間を大事にしなかった事、最後に優しくしなかった事
申し訳なくて懺悔の思いでいっぱいです。
どうしてか、寄り添えてあげなかったのか分からない・・
あんなに苦しんでたのに、危機感というかなくて、まだ大丈夫・・
何を根拠に思ったのか、そう思ってました
結局、自分の用事を優先して、母の事を後回しにしてた
初詣もパソコンも母との時間に比べたら今となってはどうでもいい事で
私は何をしてたんだろう・・と
母は優しい人で、いつも私に負担がかからないよう、気遣ってくれて
そんな母に恩返しどころか、冷たい態度をとって何もしなかった
自分が許せない日々が続いています。
結局、母が病気になってから寄り添ってたつもりだったけれど、振り返ってみると結局、私は自分を優先して母を後回しにしてたんだろうと思います
だからこんな事になったんだろうと思います
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝無有代者(むうだいしゃ)❞という事です。
お寂しいですね・・・。お悔やみ申し上げます。合掌 南旡阿弥陀仏
〈結局、母が病気になってから寄り添ってたつもりだったけれど、振り返ってみると結局、私は自分を優先して母を後回しにしてたんだろうと思います〉・・・そんなもんです。誰でも親を亡くすると、大なり小なり「後悔」するものです。特に、優しく大事にしてくれた親ほど、「申し訳なかった」という思いが募ってきます。
〈自分の用事を優先して、母の事を後回しにしてた〉・・・これも、皆同じ、そんなもんです。
仏教では「無有代者(むうだいしゃ)」と言って「代わる者有ること無き(誰も代わってあげる事が出来ない)」と言って、いくら「寄り添って」いても、代わって死んでいくことはできないと教えています。
ちなみに、「親」という字は「木の上に立って見る」と書きます。いつも少し離れて見守ってくれている存在、という事です。子供が自分のしたいことを優先して楽しそうにしているのを見て「喜んでいる」のです・・・❤。あなたの母上様も同じです。何の「心配や心苦しさ」を感じる必要はありません。お母さんが喜んでいた在りし日を偲び、元気を出して前向きに歩んで下さい。その姿を一番喜んでいるのが母上様です。
このコメントもお母様は嬉しそうに読んで下さっていますよ・・・(笑)。
質問者からのお礼
回答頂きありがとうございました。
自分が余りにも冷たかったので、母の死を悲しんでいる周りの方々にも、申し訳なく思ってました。
でも、自分の気持ちを文章にするサイトがあった事、それに対して回答を頂けた事で、少し楽になりました。
ありがとうございました