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如来行と神様仏様について

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

皆さんいつもありがとうございます。
① 如来行とは
辛く苦しい時も、自分と周りを認めて許し、全ての人に徳を積んでもらうよう感謝し続けています。
この行動は何かお地蔵様に尋ねてみたら 「如来行」と答えをいただきました。
生きて仏に成ると 如来様同様に慈悲などを感謝の気持ちで永遠に伝える修行があります。

② 如来行と神様仏様
すべての物事は神様仏様という成分でつくられてます。
自分自身も神様仏様でできていますし、がん細胞も、嫌がらせをするという行為も神様仏様でできてます。
全てはいただきものです。自分の身体、悔しい、死にたいという感情さえいただきものです。

何かもらった時は何と言いますか?
「ありがとうございます。」です。

自分とはこの世の時空間では点です。位置を示す座標です。あとは全ていただきものです。

如来行は一神教、多神教、あらゆる宗教宗派を超えて行うので、ご本尊も、教祖様も、経典も、総本山も関係ないです。
時間場所を選ばず自由気ままに修行ができます。
お金がかからないので助かります。

修行は簡単で、目に見える見えないに関係なく「おかげさまでありがとうございます。」と思うだけです。(陰徳)
この世では声をかけた方が良いこともあるので「ありがとうございました。」と言っても良いです。(陽徳)

如来行をして感じたのは、神様業仏様業はとても辛いということでした。

敵も味方も善悪関係なく、分け隔てなく平等に愛情や慈悲を注ぐことは、この世(人間社会)では全てを敵に回す覚悟が必要です。

心から感謝されることはあまりなく、「なぜ私の願いは叶わないのか」「自分はどうして苦しく死にたいくらい人生なのか」というクレーム処理に追われます。
見事なまでの「ブラック業界」です。

でも、神様仏様は皆さんのすぐそばで、一喜一憂せず穏やかな心で労わりや慈しみ、愛情を注いでいます。

そばにいることに気づき、「ありがとう」と言えば、何とかしようとします。努力の仕方とかそっと教えてくれます。

神様仏様は森羅万象の一番下にいらっしゃいました。とても謙虚です。

万物を頭の上に持ち上げ、感謝とともに愛情や慈悲を注ぐ方が良いそうです。「頂戴する」の原点です。

これからはもっと謙虚に森羅万象の下を目指し「おかげさまでありがとうございます。」を気軽に言えるよう精進したいと思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信じご精進下さいね

拝読させて頂きました。
あなたがあまたのものごとに目を向けて感謝なさりながら生きていかれることは素晴らしいと思います。
あらゆるものごとには真理がありますからこれからもずっとご精進なさっていかれ、覚りに到達なさりあまたのものを救いお導きなさって下さいね。

まことの成仏とは一切の迷いや貪りも怒りも憎しみも消え去り完全円満なる境地でしょうからね。

再度拝読させて頂きました。ご病気の状態大変お辛そうですね。どうか安心できる環境にて心穏やかにお過ごしなさって下さいね。
人は健康についても病いになって初めてその有り難みを感じるものです。
失ってみて初めてその価値に気がつくことができます。それは他のことにも通じることですからね。改めて自分を見つめ直す機会が得られるようなものです。

亡くなられた方々は私達と縁が切れたわけではありませんからね、これからもずっとそのご縁は強くなっていきます。
これからもそのご縁を大切にしていきたいですね。有難し 南無阿弥陀仏 合掌

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様
いつも丁寧なご回答感謝申し上げます。
私は最近、持病の悪化で退職し、生涯無職の身になりました。
生きる力、生きる資格、生きる価値を失いつつも、皆さんが少しでも生きていて良かったと感じるように精進します。

親しい人を亡くし辛く淋しい方へ

亡くなった方は神様仏様と同じく、この世の時間や空間の縛りから解き放たれ
あなたの物凄くそばに居てそっと寄り添って見守っています。
元気に生きていくことが故人の喜びです。
安心してお暮らし下さい。

生きて仏に成ると、生きていることがとても難しくなります。
生きる理由がなくなり、死を避ける意味もなくなるからです。
少しだけ煩悩と欲の力をお借りして生きています。
とてもありがたく感謝しています。

とても幸せな環境にいると感じます。何が起きても幸せです。

幸せって、どんな状況になっても、自分の人生に合点がいく、納得できる心境でしょうか。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ