天罰を食らわせたい
とある団体の代表が寄付金を私的に不正流用している事実を知りました。それはみんなから集めた大事なお金です。外部に告発をしたところ、自分は悪くない、やってないの一点張り。告発をされていつのまにか被害者づらです。挙げ句の果てには告発した私に人の道を外れることをするななどという始末。結局、不正行為はもみ消されてしまいました。どうしてもこの行為許せません。復讐したい、天罰を食らわせたいこの気持ちをどうしたらいいでしょうか。悪い事をやってる人間がどうどうと何事もなかったかのようにしているのが許せません。世の中理不尽すぎます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
復讐するは我にあり
【復讐するは我にあり】
『新約聖書』「ローマ人への手紙」によれば、
復讐は神様がやってくれるから、お前はいらんことすなと言う。
仏教には【縁起】の道理に基づく【自業自得】という教えがある。今は一見、正直者がバカを見る構図になっているかも知れないが、悪い事をした者は、しかるべき時期にそれなりの報いを受けるようになっている。
悪党をけちらしてやりたい気持ちは大変良くわかるが、とりあえず、あなたがそんなことやらんでもいいよ(笑)
我々が闘うべき本当の敵は、自分の中に吹き上がる【瞋恚】という煩悩だ。
<追記>
早速のご返信ありがとうございました。
お気持ちはわかります。じつは私もまさに今、理不尽な目に遭っている最中でして、おそらくあなたと全く同じ心中だと思います。だからこそ、逸る気持ちも、できることならこの手で罰してやりたい、天誅に処してやりたいという気持ちも今の私には大変よくわかります。
しかし、ここが大きな落とし穴なんです。今、この状態だからこそ、いよいよ注意を払わなければなりません。今日この日のために今まで仏法を学んできたのだと思い、とにかくまずは堪えるのです。
もし、どうしてもあなたの手で罰をと思うのであれば、まずはあなたが【仏】に成らなければなりません。(死ねという意味じゃないよ?)あなたが天罰を処すことのできる身になってからでないと、必ず事態は悪化し本末転倒を引き起こします。
悪党はいずれ必ず自滅します。まずは怒りを収めよう。
天罰というのは神様が罰することなのですから、あなたが罰を与える事ではありません。
団体の代表とのことですから、外部への告発よりも前に、先ずは団員全員で話し合うことです。その結果によっては代表に対して私的に使ったお金の返却と代表の辞任を求めてはどうでしょうか。
外部への告発は解雇される可能性もあるのでくれぐれも慎重に。
その人の事にこだわり過ぎてご自分の人生の道を踏み外さないように気をつけるのですよ。
お釈迦様は言いました。
「他人のやったことばかりを見るな。自分のやったことをしっかり見なさい。」
追記
残念ながら世の中には悪い人もいます。そのような人に関わり続けると、たとえあなたが正しい行いをしても逆恨みで何をされるか分かりません。
先ずはあなたの安全を優先してくださいね。
その上で代表者を訴えるなら弁護士さんに相談しましょう。弁護士費用は団員の皆さんで集めてくださいね。あなた1人で全て背追い込まないように。
一度あることは二度あるものですから、今後同じことが起きないように団員で対策を考えて実行しましょうね。
怒りの炎はなかなか消えないものですが、代表者に対してなんて愚かな人なんだと思うことで炎を鎮めてくださいね。
追記
その子の善意は尊いものです。
もしできましたら、あなたや善意のある大人の仲間達だけで少しだけお金を出し合い、直接に本来寄付すべきところに寄付してあげてください。
そうすればその子の善意はあなたを通して寄付先へと繋がると思います。
あなたや大人の仲間達は我慢しないといけませんが、その悔しさを今後に活かす方向で役立ててくれたらと思います。
お彼岸は仏道修行の期間でもありますから、仏道修行と思って乗り越えてくださいね。
その結果が回り回ってあなた達の幸となりますように。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
関係者で話し合いもしましたが、そのせいで一部あちらの味方である人に証拠を消されてしまったのです。なので外部告発しました。味方がいることにより犯人は強気で、それがまた腹立たしく。悪いことを悪いというのは私の人生の道を踏み外すことになるのでしょうか?みんながどんな気持ちで寄付したお金かと思うと…怒りがおさまりません。みんなが一生懸命働いて汗水流して得たお金です。解雇も何も怖くはありません。かといって証拠がない以上、これ以上の追求もできず。怒りのみが私の中で渦巻いています。神様はそんな人をいつか罰してくれるのでしょうか?私のやったことはまちがっていたのでしょうか?怒りの渦に飲み込まれている私をどうかお助けください。
ご回答ありがとうございます。
私自らが手を下さなくても、そのうち報いはうける。わかります。そうだと思います。だけど聞いてください。とても小さな子が少ないお小遣いから世の中のためにと寄付したお金も入っているのです。欲しいものもあったでしょう。それを我慢して寄付してくれたのです。あの子の笑顔が忘れられません。汚い大人に使われてしまったと思うと心が張り裂けそうになるのです。瞋恚を調べました。これも煩悩なのですか。。。私はまだまだ心静かにはなれそうにありません。愚か者は私なのでしょうかね。世の中のためと思ってやってきたことが、汚いと大人の私腹肥やしになっていた…怒りから悲しみに変わってきました。
転落院様へ
ご回答ありがとうございます。まずは私の怒りを冷静に見つめてみました。耐えてみました。すると悲しみに変わりました。そして無力感。人間というものは煩悩で成り立っていると聞きましたが、なんと生きづらいものなのでしょう。仏になるなんてとんでもなく、まだ人間としても未熟なのだと痛感しました。理不尽なことだらけですが、うまく心がコントロールできるようになりたいです。私は猫を飼ってます。人間のような汚い心などない清らかな存在です。私は次は猫に生まれ変わりたいですね。私は仏法を学んでいるわけではないので、転落院様より少し遠回りかもしれません。私ごときが言うことが正しいのかわかりませんがら転落院様もどうか、早く心の平穏が戻りますように。
三宅 聖章様
その子の寄付を他の団体へ回す…その発想は無かったです。その子の気持ちが本当に良いところで役に立つよう、是非そうしたいと思います。結果として知らずにですが、私は悪事の片棒を担いでしまいました。そんな私にもいつか幸が巡ってくるでしょうか?団体への怒りは私への怒りでもあったのかもしれませんね。適切なお話しをいただけて光栄です。これからのことは少し冷静に、落ち着いて行動していきたいと思います。そしてどうかあの子の暖かい気持ちが本当に届くべきところにたどり着きますように。