もう人生に疲れました
生きていていい事なんか何も無いとは思わないのですが、むしろささやかな幸せも感じる方だと思うのですがそれでも辛いことが多いように感じるもので、あと何十年もこんな感じで生きていくのかと思うと憂鬱です。
例えば美味しいものを食べるのは幸せですが、空腹感は嫌ですし、寝る時間は嫌なことなんかも忘れていられるのでいいですが起きた時や眠いけど寝てはいけない状況は苦しいですし、休みは嬉しいですが仕事はしたくなくて辛いです。
嫌なことは生きていれば起きるものとは重々承知しているつもりですが、何度も嫌なこと、そうでもないことを繰り返し生きていくのは辛いです。
どのようにすれば生きやすいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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感謝の気持ちが、出来事の見方を変えていきます!
質問読ませていただきました。
たしかに人生は辛いことも多いです。それが分かっただけでも、素晴らしい事なのでしょう。
仏教では、人とは苦しみの境界だと説きます。生老病死や、四苦八苦、生きていく上で色んな苦しみを味わいます。だから、そんな苦しみの多い世界から抜けだそう!来世の命は、人ではなく苦しみのない境界に生まれ変わろう!というのが最終目標と言えるでしょう。
その意味において、さとるさんのおっしゃることや考えていることは、仏教の説く根本の部分に近いのかもしれません。
しかし忘れてはならないことは、最終目標はそうであるかもしれないが、私たちは「今この世の中に実際に生きている」ということです。
生きていれば、楽しいこともしたいでしょう。お腹も減るし、眠たくもなります。他にも色んな欲求がわき上がってきます。また、辛いことや楽しいことが起こり、そのたびに自分の心は大きく揺れ動くでしょう。
そういったモノと現実に向き合って、どう自分の心を調えていくかというのが大切になってきます。
そもそも、辛いとか幸せというのはなんでしょうか。
周りとの関係性でいうなら、世の中の全ての人が自分と全く同じ環境で同じ境遇であるなら、劣悪な環境であっても人は辛いとは思わないでしょう。周りと比較するモノが無く、それが当たり前なのですから。
もしくは自分の中の関係性でいうなら、辛いことがなければ幸せは感じられませんし、幸せがなければ辛さは感じられません。つまり自分の経験則から、出来事を辛いことや幸せなことに分類して、一喜一憂しているということです。
このように、辛いとか幸せというのは絶対的なものではなく、他の何かと比較した相対的なものです。つまり同じ経験を多数の人がしても、その受け取り方は変わるということです。
「何で自分がこんな目に」と思う人もいれば、「この程度で済んで良かった」と思う人もいます。
それは即ち、同じ出来事を経験しても、「辛い」と思う人もいれば「幸せ」と思う人もいます。
辛いことが多く生きづらいと思っている世の中、見方を変えれば辛さが幸せになるということです。
そのためには、今あるモノに多くを求めず、感謝することが大切になってきます。「こんな幸せでありがたい」「この程度で済んでありがたい」そういう気持ちを持てるように努力してみて下さいね。
何か少しでも参考にしてみて下さい。
質問者からのお礼
なるほど、実践していくのは難しそうですが何となく分かりました。
最終目標に向かってゆっくりと自分の状態を見つめながら生きていきます。