生と死について
母が亡くなって3年目です。父は朝晩仏壇に向かい般若心経を唱え、花やお菓子をお供えしています。
母が生きている時は母の誕生日も忘れ、子どもの私が困っていても見て見ぬふり、家事の全てを母にやらせ、休みの日は何もしなく、事なかれ主義で母が父方の親戚と折り合いが悪いのも母のせいにしてきました。
なのに、亡くなったらまるで神をあがめるようにお参りをする姿を見て、なんかおかしいと思うようになりました。
誕生日は忘れられるのに命日は思い出す。みんな集まる。生きてる時は無関心だったのに亡くなったらみんなお参りにくる。
それならば生きている時に共に喜び、泣き、喧嘩をし、仲直りをして、それが人間味のある生き方や人との繋がりなんじゃないかと思ったんです。
私は抑うつ状態で全般性不安障害を併発し、いじめ後遺症になり、対人恐怖症人間不信になってしまい、社会復帰は絶望的です。私は今、幽霊みたいなもんだなと思って生きています。私は精一杯、病院、行政、親戚等助けを求めてきましたが、支援されるまでにはいたりませんでした。友だちもいないし、親戚たちからはいじめられてきたのでとても孤独です。
孤独感とはなんだろうとずっと考えてきたのですが、誰の日常にも私の姿がない事だなと思いました。人に対する無関心さなんだなと思いました。
でも、死んだらこんなにたくさん集まってくれて、命日には思い出してもらえて、お盆もお彼岸も。
どうしてみんな生きているうちに人間臭く生きようとしないのでしょうか?目の前に起こっている現実から目を逸らして、真実を知ろうとせず、人を知ろうとせず、分かり合おうとする努力をしないのでしょうか?どうして人に優しくできないのでしょうか?死んでから優しくしても意味がないように感じるのです。
死んでから花をいけても本当に母は喜んでいるのでしょうか?生きていたらその花の鮮やかさを見たり感じたりできるのに。
だから私は母の命日より母の誕生日を思い出そうと思うのです。
この文章を読んで住職さんという立場からみてどう思いますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
亡き人を通して、仏法に出遇っていくことが大事なんですよ。
そうねぇ、自分の側にいることが当たり前だと思っている人には、生きているうちに とはなかなか考えずに、自分中心でしか行動できないのが人間なのかもしれません。
お坊さんは、この世が 無常であることを知っています。実感しています。明日はどうなるか分からない身であることを。
それに気づかせて下さるのは、仏様。
あなたのお父さんも、死別の縁により、ようやく気づけた。だから、手を合わせ、ときには心の中で懺悔されているのかもしれませんよ。
あなたには、なかなか納得がいかない行動だと思うでしょうが、お父さんの今の気持ちも、否定は出来ませんね。お母さんが、そんなお父さんに変えてくださったのでしょう。亡くなってから気づく、人間とは そんな愚かさがあるのです。
お父さんはお父さん、あなたはあなたよ。
仏様はちゃんと見ていてくださっています。
あなたが、変わらずお母さんを大切に想っていることを◎
それでいいのではないかしら。
手を合わせることに、評価はありませんもの。
他の人の手を合わせる意味を問うより、この私が 亡き人を通して、仏法に出遇っていくことが大事なんですよ。
追記。。。
そうだったのね。あなたも、お父さんの振る舞いに 傷ついてきたのね。辛かったね。お父さんが手を合わせるたびに、辛い思い出までよみがえるんだね。
あなたは、あなたの気持ちを大切にね。
お母さんは、いつでも あなたと一緒よ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。質問欄にはのせていなくて申し訳ないのですが、死別により気づいたのなら、どうして私の病気を理解しようとせず、知ろうとせず、本音を言うことを避け、うつ病って何よ、とにやにやしながら聞かれるのかわかりません。やめて欲しいことをやめてと言ってもやめてくれません。母が死んだ直後は何度も死にたいと思いました。私に対する態度は生前母にしていたものと変わりません。生前の母と同じ状態になってます。父とは一緒に住んでますが、家庭内別居状態で、しばらくまともに話していません。こうやって母もこういう結論に至ったのだなと今は思います。
今は父と精神的な繋がりを絶つこと、家族であっても他人であると境界線を引く事を意識しています。私が抑うつ状態により這いつくばりながらトイレに行っても無視されているので、向こうは他人事であるととっくに気にもされない存在なのです。後出しみたいになり、申し訳ありません。私は私、人は人。天涯孤独でも自分には何があっても大丈夫だと、心の中に揺るがないぶっとい芯を作りながら生きていこうと思います。他人のことが頭に入る余地のないほど自分を大事に。他人に優しくしていきながら自分も大事に生きていこうと思います。丁寧な回答して頂いたにも関わらず、細かな状況を上手く伝えられず申し訳ありませんでした。ありがとうございました。