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自分でも何をしたいのか分からないです。

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私は今病んでいます。家庭は、父から小さい頃DVを受けた事があり、昨年の父の日に私はされませんでしたがまた起こり少しの期間逮捕されました。家族旅行に一回も行ったこともなく、お金もあまりない為友達が話をしてるのを聞いてると羨ましく思い、その話をしているのが大勢だと輪の中に入れないという事があります。
また吹奏楽部に入っているのですが、パート内のリーダーのくせに後輩に上手く教える事も出来ず、同じパートの子の方が教えるのなど上手だし、後輩が何回同じ事を言っても直らず嫌になり、部長に言われても直らないなら自分が考え込んでるのが馬鹿馬鹿しい、必要とされていないんだと思っています。音があってなかったり合奏で怒られたりするのはリーダーの私が悪いし、帰り道に泣く事もあって、同じような環境の人がいないから相談しにくいし、嫌すぎて何回も休んでるため仲間からはまた休みかよと言われ、自分なんか必要じゃないんだ、価値は無いんだと思います。ストレス発散できなくて、イライラして物とか家族に当たって怒られ自分の居場所がないです。自分が何をしたいのかも分からず、このままだと自虐しそうで怖いです。長文になりましたが、この今の自分をどうしたら良いのでしょうか?大好きな人も居なくなってしまうし、このまま死ぬのか試されてるのかと考えると泣いてしまいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

別々の問題を束にして考えないで

人生には、いくつかの問題がふりかかることがあります。
そこで重要なのは、別々の問題、別々の事件を束にして考えないことです。
荷物に例えるなら、一つ一つの荷物は軽くても、複数の荷物を同時に持とうとすると苦しいです。
悩みも、一つ一つの問題なら精神がたえられますが、同時に複数を考えると辛くなる(脳内で苦痛が常に分泌されるイメージ)のです。
たとえば、お父さんに暴力を受けた問題は、部活の悩みとは別の問題です。
今暴力を受けていないなら、その問題は、部活のときは考える必要がありません。
一つ一つ乗り越えていけば良いのです。

あと、学校や部活は、長い人生のほんの一部です。
人生を台無しにするような、精神を病むほどの大問題だと感じるのは、錯覚なのです。
小さなアリん子でも、近づいて見ると大きく見えます。
目の前のものに視野を奪われ、視野が狭くなると、小さな問題も巨大に感じる。
それも錯覚なのです。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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