努力が足りない、のか
はじめまして、こんにちは。
閲覧ありがとうございます。
とても自分勝手なことをつらつら書いていきますが、すみません、ご承知ください。
今免許合宿に来てるのですが、都合上マニュアル車の免許を獲得しなければならないので日々格闘してます。自分でも薄々分かっていたのですが、運転に多分不向きなタイプで仮免試験も持ち越しとなってしまいました。それでも自分なりに曖昧なことはノートに書き出してまとめてみたり、学科は勉強して覚えていけばなんとかなると信じて問題を解いては解説を読むの繰り返し。私は私なりに頑張ってるんだと思っていました。
が、控えた仮免試験が持ち越しとなると、これまで頑張ってきたと思っていた自信というか、悲しいに近い悔しさでいっぱいになりました。ばかなりに頑張ってみたけれど、ダメだったのか。そんな感じで。
こんなに頑張ってるのに、上手く行かないんだろう。そんな感情を、免許以外にも似た出来事があってずっと感じていて、頑張りが足りないのかと思うと果てしない道に思えて、あとどれぐらい頑張ればいいんだろうって思います。努力が足りないのかもしれないけど、どれだけ努力すればいいの?これでも届かないの?そう考えてしまいます。こう考えてる辺り、すごい甘えてるようで恥ずかしいです。でも、頑張ってるのに、先へ越せないのが悔しいし悲しいです。
私は甘いですか?
いつまでもこんな考え方じゃ、ダメだと思ってます。この考え方から変わりたいです。どうすればいいんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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努力で得られることは、成功だけではありません。
はじめまして。亀山純史と申します。
運転免許に関して言えば、運転に自信がないほうが、結果的に安全運転をすることになると思います。人には、「慢」という煩悩があります。それは「他人と比較して思い上がること」です。自分は運動神経や反射神経がよく、他の人よりも運転に向いている、と思うと、実際に免許を取ってからの運転においては、道路は自分の運転のためにあるかのような気持ちになり、そのような気持ちが、ちょっとした不注意を引き起こし、重大な事故へと繋がっていくものだと思います。もちろん、事故の全てがそうだというわけではありません。ただ、運転が苦手な人は十分に注意しながら運転をする傾向があるだろう、ということです。私も運動神経や反射神経がいいとは思っておりませんので、運転中にヒヤリとした場面は、何度となく経験しています。しかし、無理な運転をしようとしないので、幸い、今まで大きな事故を起こしたことはありません。ただ、そのことはこれからの運転においても事故を起こす可能性はゼロだというわけではないのです。
さて、努力をしていても、うまく成果が出ないと、そこに自分の努力不足を考えてしまうのは、人として普通でしょう。しかし、「努力が足りないか」という考えは、裏を返せば、「努力をすれば、すべてうまくいくのか」ということに繋がります。でも実際、私たちは「努力をしても、うまくいかないことがある」ことを経験を通して知っています。どんなに勉強をしても、学校の成績が伸びないとか、部活動で一生懸命練習しているのに、試合に勝つことができないとか、挙げればきりがないでしょう。(これらの経験を全て努力不足にするのは無茶だと思っています。)
それならば、「努力をしても無駄なのか」と言えばそうではありませんよね。努力の先には成功が待っているのか、失敗が待っているのかはわかりません。しかし、成功を目指して努力するところには、必ずその人の成長があります。そして、目先の成功よりも、努力を通してのその人の成長のほうが、数倍価値があることではないでしょうか。私はそう思いながら、日々過ごしています。
以上が私からの回答です。少しでも参考になれば幸いですし、また、無事、運転免許を取得出来ることを願っております。