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ボーッとふと気付くのは、これは悟り?か疲れ?

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こんにちは(。-人-。)

たまに、目の焦点をズラしてボーッと一点を見るか見ないかしてると、ふと気が付くと30分ぐらい経過してることがあるのですが、何かの一節で「ただ風が吹いていた」だの、悟りを開くだのと、瞑想だのと言った事柄と似たものと捉えて宜しいでしょうか?

それとも、ただの疲れが重なってただけか、変な趣味程度ですか?ゾーンか集中力?それこそ「ボーッ」?

お願いしますm(__)m


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悟りに拘る人は、悟っていないのでは?

質問読ませていただきました。

にゃんたさんの現象が、「悟り」なのか「疲れ」なのかはわかりません。私は悟りを開けておりませんので、その感覚がどういうものかわからないからです。
ただし、現世に生を受けながら悟りを開くことは「可能かどうか?」と聞かれましたら、「不可能ではないかもしれない」とだけお答えさせていただきます。

しかし、1つ言えるのは、「悟りに拘る時点で、悟っていない」ということではないでしょうか。
悟りとは、語弊を恐れずに簡単に書きますと「物事に執着せず、自分の我見を捨てに世の中の真理を正しく理解し、そしてそれを体得(考えずとも身についている状態)する」ことです。
ですので、「自分が悟っているのか?」と尋ねる時点で「ん?」と思ってしまいますし、何より「あなたは悟っています」と他人に明確に認可状を下せる人なんて、現世にはいないでしょう。

あまり考えすぎず、休むときはしっかり頭も休めて、疲労をしっかりとって下さいね。
どうしても「悟り」に拘るのであれば、仏教の勉強をしてみて下さい。何か答えが見つかるかもしれません。

追記です
字数制限がありますので、思うところを簡単に述べさせていただきます。

悟りという言葉は、「そこを目指しましょう」という意味もありますが、実際に悟りを開かれた方もいらっしゃいます。ただし、衆生の機根が劣る末法の現在において、悟りを開くというのはとてつもなく難しいということです。
また、「悟り=成仏」かどうかという議論もそこには含まれるでしょうが、そこには様々な考え方があります。

そして、世の中の真理を理解し、それを完全に体得するのであれば、それは一生ものです。一生というのは、今世だけのものだけではありません。

また、悟りを追求することについてですが、ある意味で「青い鳥」のようなものです。
どういうことかというと、悟りとはもともとこの世の中の真理を覚知し、それを身体に染みこませるです。
それは、新たに手に入れるものというよりは、もともとあるモノに気づくという方が、感覚的には近いのではないでしょうか。
もちろん、言葉で書くと簡単に見えますが、それを実践するとなると途方もない努力と根気が必要ということです。

悟りとは何かを求めることはダメなことではありません。
もし悟りが開けたなら、それをもって大勢の人を救おうとすることが大切でしょう。

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京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお勤めさせていただいております。山手の方にある、自然に囲まれた日蓮系宗派のお寺です。 13才から僧侶となり、たくさんの方と関わってきました。 現在は42才となり、3人の子育てに奮闘中です!また、教育関係の仕事にも勤めたことがあります。 自分の経験したこと全てが私自身の糧となり、それが人を救う力になればいいなと、何があってもポジティブに考えるようにしてます。 その経験を活かし、 ・人間関係 ・将来の不安 ・仏事全般 など、様々な質問に答えていきたいと思っております。 何か悩み事がある、個人的に相談したい、質問について他の人に知られたくない、という方は遠慮なくメールにてご相談下さい。 今までにたくさんの方からメールにてご相談をいただいておりますので、気軽にご相談してみて下さいね! また、ハスノハの回答には字数制限があり、私の回答に対するお礼に返事が出来ない場合も多々あります。ですので、返事を望まれる場合もメールにてご連絡下さい。 メールアドレスは下記をご参照下さい。 一両日中に返事をするようにしておりますが、こちらからの返事が届かない場合は、 ・メールアドレスを間違えていないか ・受信拒否設定はどうなっているか を確認して、もう一度メールを送っていただければありがたく思います。 また、お寺に直接訪問されてのご相談も受け付けております。その場合は、まずメールか電話にてその旨をお知らせ下さい。 お寺の予定と照らし合わせて、日時を調整させていただき、お寺の詳しい場所などをお伝えいたします。 ただし、電話回線が1本しかないこと、他の法務の電話が多いことから、失礼ながら電話での悩み相談は承っておりません。 直接お寺に参詣されての相談か、メールにての相談に限らせていただきます。 また、直接お寺に参詣されての法事や、ZOOMを通じての法事なども受け付けておりますので、希望があれば何でもご相談ください。 メールアドレス joukai4378+soudan@gmail.com 電話番号 0774-65-0161
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質問者からのお礼

ありがとうございます(。-人-。)

仏教に詳しくなく、また内容が深いのか、全体を理解できないことをお許しくださいませm(__)m

付け加えますと、いつもいつも「悟りとは」、と考えながら日常を過ごして頭でっかちになっているわけではなく、それなりに長く生きてきて、ふとそんなことを思い付いた程度のことを質問したまでなので、わざわざご心配ありがとうございました(^-^)v

しかしながら、いくつか疑問点が浮かびました。

現世での悟りは難しいことのようですが、そうなるとこの言葉は何故存在するのでしょうか?そこへ向かって努力するものがありますよと言うようなことなのでしょうか?
天皇だけに使われる言葉があるように、ブッダ?(一番偉いとされる方)だけに使える言葉が悟りなのでしょうか?

また、体得したとして、物事、場所、人、時が変わっても、全てに通ずるのか応用が効くのかについても知りたいです。体得すると一生ものでしょうか?
例えば、石の上で何かについてハッと悟ったとして、石を降りて目の前の鶏と目を合わせた瞬間にはもう悟りからは外れますか?

それと、もし、仏教を修行される方が、悟りも追求するもののひとつであるならばですが、「聖杯探し」や「青い鳥」などの類いになってしまわないでしょうか?

こんなことを質問するようでは、そもそも駄目ですか?
それでは失礼します
にゃんた

追記のお礼です(^-^)v

字数の限られたなかで、私のような民に分かるよう噛み砕いて説明していただき、ありがとうございました(。-人-。)

なるほどと感じることが多かったです。

とても興味深く有意義な内容で、少し長く生きる気力を貰ったように思いますm(__)m

ありがとうございました(。-人-。)

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