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強い人弱い人

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

100回馬鹿と言われてそれに慣れる人と逆にどんどん心が弱くなり潰れてしまう人の違いはなんなんでしょうか?
馬鹿と言われてと言うのは単なる例えであって
同じ量の不幸だとします。
現実的に対処しろ向上しろみたいな話ではなく、どうにもならないことに慣れるか潰れるかは性格なのでしょうか?
同じような環境、能力でも受け止め方は人によって違って私は後者なのですが前者に自然と無理なく代わるのは難しいんでしょうか?
私も弱い人間ですが、「えっ?そんなことで傷つくの?」「こんな大変なのになぜ平常心でいられるのか?」と他人を見ても思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

違いはある

違いがあるという事実ですよね。違いを認められず、努力次第で誰でも同じ能力・状況になれると考えてしまうと、そうはならない現実に苦しむことになるかもしれません。

どうにもならないことに慣れるか潰れるかは性格の違いでもあるかもしれませんが、仏教的に云えば縁(構成要素・成立条件)の違いでしょう。

すなわち先天的要素(遺伝子)と後天的要素(生育環境などの境遇)の違いです。

その違い自体に問題があるのでなく、違いに「良い」とか「悪い」という評価をくだしてしまうところに問題があるのでしょう。

何を言われても傷つかない人は自分は良いかもしれませんが周りの人が同じような目にあって苦しんでいるのに気がつかず皆のための環境改善に取り組めないかもしれません。

傷つきやすい人は同じような特性の人の気持ちに配慮出来、誰もが過ごしやすいような環境改善に視野が向くかもしれません。

もちろんそんな単純なものではないですが、それぞれの特性により向き不向きもあり、その多様性こそが実は皆で生きられる社会の成立に必要なものなのでしょう。

あなたにはあなたの特性があります。その特性も固定のものではなく、変えやすいもの、ゆっくりとしか変えられないもの、非常に変えがたいものなど違いがあることは事実でしょう。

でも大事なのは「変えること=変わらないとダメということ」ではなく、今の自分の特性に気づく、他人のそれにも目が向くということであり、さらにはその評価に振り回されている自分の姿に目が覚めることでしょう。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

ありがとうございます。なかなか変わるのは難しいですね。
弱い分周りの気持ちをわかってあげられる人であったら良かったのですが、弱いからそんな余裕が持てません。難しいところです。

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