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もう長い間現実感がありません

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有り難し有り難し 6

もうずっと長い間、現実感がありません。この文字を打っている手も、その文字を見ている目も全て私だということはわかっています。
でもどうしても生きているという実感がありません。
ただただ死にたいと考えてしまいます。

友人とは毎日LINEで話して月に一回遊び、家族とも仲が良く、なんの不満もありません。とても楽しい日々を過ごしています。
もちろん、友人も家族も深く愛しています。
でも今ここで死ねというなら私は死ねます。
実行力があるのが私の取り柄だと思っています。ビルから飛び降りるなんて事もできます。ハッタリではありません。

今は、ただ生きているだけです。
まだ死んでいないだけです。

それに対してあまり後悔はありません。
友人を、家族を愛しています。
でも今死んだとしても微塵も後悔がありません。
死が私を、私の体を解放してくれる、死ねば楽になれる、そういう風に感じます。
死に対して夢を見ているなどという訳ではありません。

私はなぜ、現実感を感じられないのでしょうか、死にたいと思ってしまうのでしょうか。
なぜなのでしょうか。
誰か教えてください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いのちに対しての実感や現実感

無くなる時期があります。
もう何十年も昔ですが、私もそんな時がありました。
死のうかと考えた時に頭に浮かんだのは、母の顔でした。

今では、あの時思い留まって本当に良かったと思っています。

貴方はご家族や友人の事を愛していると書かれてますが、本当に大切に思っているなら、貴方が死ぬことによって悲しませたくないと思えませんか?

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派 忠専寺 住職 同宗派 特別法務員 同宗派 布教使 ...
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質問者からのお礼

全く思えません。
小さい頃、父は短気で怒るとすぐ手が出る人で、母も怒らせると足を蹴ったり腕やお腹をグーで殴ったりする人でした。
今は滅多に殴りませんし、仲がいいです。

虐待の過去があるからでしょうか、両親を愛しているのに、死んだら悲しむという気持ちが湧きません。

友人はもちろん大切で、とても仲が良く、正直家族よりも愛しています。
私が死んだら悲しんでくれるのも分かっています。でも、それでも死にたくなります。
どうしても私にはわかりません。
なぜなのでしょうか。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ