hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死んだら人を呪う事はできますか

回答数回答 1
有り難し有り難し 22

最近、仕事中に唐突に学生時代いじめられていたときの記憶が蘇る事が増えてきていて苦しいです

そしてふと、子どもの頃、「死んだら呪ってやる」みたいなことを言い合っているのを聞いていたことを思い出しまして、もし人は死んだら誰かを呪うという事は可能なのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

呪いはなくとも呪いだと思う人はいる

ご相談拝読しました。いじめられたという記憶がよみがえってくるのは辛いですよね。

でもいじめた方もやはりいじめたという事実から自分が問われてくるのです。それが自業自得という原則です。

ですから、「死んだら人を呪う事はできますか」というこの問いについて仏教的に考えるならば「業(ごう)」というものを考えることになると思います。

つまり、呪いというものが可能か不可能か、あるのかないのか、という話ではなく、結局その人がどう感じたのかという作用になってくるのです。

業とは行為であり、さらには行為がその後に及ぼす影響力・潜在力をも含めたものを指します。

身業(しんごう:何を為すか)、口業(くごう:何を話すか)、意業(いごう:何を思うか)という業がその後にも影響します。

ずっと汚い言葉を使い続けていたら心まで荒んでくる様に。

さて、あなたの問いに戻って考えますと、例えばAさんがBさんに「死んだらお前を呪ってやる」と言って死んだとします。するとAさんの言葉はAさんの口業ですからAさん自身に影響を及ぼします。ですからそういう意味ではBさんに呪いはありません。
しかし、Aさんの口業に対しBさんがどう思うかというBさんの意業はBさんに影響を及ぼします。つまり、たまたまAさんの死後にBさんにとって都合の悪いことが起きた時にBさんが「これは呪いのせいなのでは?」と考えたとすると、Bさんにとっては呪い(Bさんがそう解釈したもの)があるということになります。

私たちが思う様に誰かに不都合な出来事を起すなどできません。しかし何かが起こった時にその人がどう解釈するかはその人の業の世界です。

だからこそ、変な解釈をして苦しみを増やさないように仏教は真理真実を説くのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

吉武文法 様
分かりやすいご説明ありがとうございます。
「呪い」というものは存在せず、その相手がどう感じるか、ということですね。
ネガティブな性格なので、憎い相手の不幸を祈りがちなのですが、やはり自分の思うように相手に不都合な出来事を起こすことはできない、吉武文法様の仰る通りでございます。
そのことも踏まえ、これからはもう少し気楽に過ごせたらいいなと思います。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ