地獄行きが決まっている回答受付中
私は死後地獄に落ちると思います
地獄はあると思いますか?
また、大量殺人犯が地獄に落ちないことなんてあるんでしょうか?
夢にも出てくるほどそのことばかり考えてしまいます
あることをきっかけに大変な罪を犯したことに気づきました
具体的な罪の内容はプロフィールにのみ記載しています
このサイトでお坊様方からアドバイスをもらい仕事で人の役に立つことで償おうと努力しています
表面的には普通の日常を送ることはできていますが常に絶望感に苛まれています
生きて苦しむこと、少しでも誰かの役に立てるように努力することで許される時は来るでしょうか
ずっと同じ考えがぐるぐる巡ってくるしいです。
自分のできることをしていくしかないとは分かっていますが、誰かに話を聞いて欲しい気持ちなので質問させていただきました
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
信仰をしっかり持つことから。
梨花 様
地獄行きが決まっていると思うなら、仏様に救っていただくことを意識することが大切です。
それには、毎朝仏壇(なければ信仰の対象となるもの)に水を替えお供え物をし、手を合わせ、お経を読み、仏様とご先祖に感謝して真心から、一日の無事と安穏を祈ることです。このことは仏教の信仰をしっかりと顕し祈ることになります。
また、仏様の前で、これまでの悔いなる行為を反省し、利他の行動を起こすことと多くの人に慈しみの心を分け与えることを誓うことです。これはあなたが生きて苦しむこととは違います。この誓いは、あなた自身が自分に仏様と一体となった感覚を養い、あなた自身の中に慈しみを感じ、あなた自身の中に喜びを感じ、その喜びを人に分け与えることを実践していくことです。
あなたが利己的で絶望感を感じてしまうことと真逆になります。
端的に言えば、自分の出来ることを真心から行い、しっかりとした信仰を持ち、いつも心に仏様を懐き、その仏様に誓い、仏様の慈しみ喜びを感じ、あなたの行いの中で他人に慈しみを分け与えることと言えます。
こうすれば地獄だろうと畜生界であろうと、修羅界であろうと、あなたは必ず救われます。信心信行が大切なのです。
念仏だけで大丈夫です
南無阿弥陀仏、なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏すれば極楽浄土に往生できると浄土宗では考えます。
誰かの役に立てなくても、世俗の法律的な償いが終わってなくても、阿弥陀様はあなたを極楽浄土に迎えてくれます。
また、念仏や願往生心は極楽浄土に向かう白い道に比喩されます。
この白道を歩いている瞬間(念仏している時間)は、私達の心は欲や怒りの煩悩の荒波から脱出して、安らかな道の上に戻れるのです。
欲や怒り(悲しみや後悔、自分への不満を含む)の荒波がザブンとあなたの心をさらって、思考や感情が悩み苦しみストレスの激流に流されたとしても、
「南無阿弥陀仏」と念仏を口ずさんだその瞬間に、あなたの心は極楽行きの安全な道の上に瞬間移動できるのです。
お釈迦様は遺言で、「自らを島(中州)とし、
法を島としなさい」と言われました。
これになぞらえるなら、煩悩の激流に呑まれがちな私達の心は、南無阿弥陀仏という島(中州)につかまることでその激流から助かるのです。
悲しみや恐怖や後悔の波にザブーンとさらわれては南無阿弥陀仏と島(中州、白道)に這い上がり、またさらわれては這い上がり、そうやって寿命が尽きるまで生きていれば、最後臨終には往生極楽というハッピーエンド(地獄に落ちない)が約束されている。
それがお釈迦様と阿弥陀様の説かれた智慧と慈悲であり、阿弥陀様は無量の寿命と光明で、いつまでもどこまでもあなたを照らして待っていてくださいます。
大丈夫・あるがまま・お互い様。
なむあみだぶなむあみだぶ