こんなはずではなかった
始まりは三年前母が癌で突然他界してしまったことから始まります
広い家に父一人で暮らすのは心配だという事もあり3人姉弟のなかで持ち家ではない私が父と同居することになりました
引っ越し準備を始めていた最中父が脳卒中で倒れ介護生活に そのまま同居を始めたんですが まだ母が生きている頃から性癖が悪くお金を払って女性と遊んでいたことがわかり 父のお金は取り上げ生活も制限することにしました
今までとは違う生活に父もイライラして孫に当ったりわたしも父の行動にイライラして子どもに当たってしまうことも こんな生活していたら子どもにもよくないとはおもうのですが父にリフォーム代ももらって生活を始めてしまったし子供もここでの生活に慣れてきたところなのでやめられないです
怒りの生活の中 私もストレスで暴食してしまい5キロ太って高血圧にもなってしまい自分も病気になりそうです
一年たち父は杖で出歩けるまでになりました
出歩いた途中でまだ本能は捨てられないようでアダルトDVDを買ってきた事があり子供の目に触れてもいけないのでとりあげました
そのうち町まで出向くようになり アダルト専門の映画館に入り浸るようになり 言っても聞かないのでどうしたらいいか困っています
前までは平日はデイサービスに半日通っていたんですが今は父が嫌がり一日おきのデイサービスでお休みの日に町に徘徊しに行っています
私も父の監視を24時間するわけにもいかず
これは精神病で 精神科に行って相談した方がいいものなのか 病院にいっとら笑い飛ばされて終わりのような気もするのし恥ずかしくていけません
今では早く癌にでもなって死んでくれないかともおもっています
ちなみに父は7月で82歳 糖尿で狭心症もやっていて一年前に脳卒中を患いました
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白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき
質問読ませていただきました。
さて題名の歌は、江戸時代に民衆が詠んだ歌です。
田沼意次という有力者が政治を行っていた時代は、世の中が少し緩んでいて乱れていた時代でした。民衆はそんな世の中に嫌気がさしていました。
しかし次の有力者である松平定信という人は、そんな世の中を引き締めてきっちりしようとしました。しかし締め付けを厳しくし過ぎた結果、人々はとても息苦しくなり、かえって嫌気が増してしまったのです。
その気持ちを詠んだ歌です。
人はなかなかキレイごとだけでは生きられません。自分の身の丈に合わせた色んな贅沢や楽しみを交えながら、辛い日々の生活にも耐えていけるのでしょう。
そして、その楽しみというのは人それぞれです。他人には理解できないモノもたくさんあるでしょう。
たとえばフィギュアを集める人の楽しみ方は、興味のない人には理解できないでしょう。場合によっては、ゴミの山のように映るかもしれません。
もしくは、俳優やアイドルを追いかける人の楽しみ方は、ただのお金と時間の無駄遣いのように映るかもしれません。
しかし、その楽しみは本人しか分からないのです。それを周りが理解する必要はありませんが、むやみやたらに否定することも考えものです。
なぜなら自分がそれをされたら、きっと怒り狂うでしょうから。「自分のささやかな楽しみを奪うな!!」となるでしょう。
ですから、お父さんも、そういう性欲を満たすことが楽しみとなりストレス解消となるのでしょう。かままぁさんは汚らしく思うのかもしれませんが、本人の楽しみで生き甲斐となっているのです。
もちろん、度をこしたものや、他人を傷つけるようなことは控えることも大切です。
しかし奥さんが亡くなられた今、お父さんの行為は道義的に責められるようなものでしょうか。徘徊して心配だとかそういう気持ちならわからないでもありませんが、楽しみという観点に関しては、周りに迷惑をかけない限りにおいては否定し過ぎることもないのではないでしょうか。
もちろん、子供の教育上・・・というのは心配のタネだと思います。お父さんにきっちり言い含めるか、上手にかままぁさんが目に触れないように隠しておいてあげて下さいね。
そうやって、気楽に構えることが出来れば、必ずかままぁさんの心も少しずつ和らいでくるでしょう。
何か少しでも参考にしてみて下さいね。
質問者からのお礼
有難いお言葉ありがとうございます
私ももう少し甘くなっても、いいのではという気持ちとこのまま行くとまた生身の女性が触りたくなりお金を払ってしまうのではないかという疑いの気持ちに日々たたかっています
どちらにしても老い先は長くないのでなるべく私の心を優しくできるように努力していきます