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絶望がなくなることがない現実

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

理不尽な目にあい、救いがなく、精神が崩壊して亡くなる人がいたり。
逆に人を理不尽な目に合わせ、罪のない人の心を殺したり、肉体を殺しても、何も無かったかのように幸せに生活し一生を終える人がいたり。
実際いますよね。

私は絶望の原因となっている人と対峙することで、解決できたり、自分の心が強くなるだとか、成長に繋がるだとか、あるいは絶望が無くなるのではないかだとか、月並みな言い方になりますが、信じて踏ん張っていました。
しかし、その絶望との対峙が逆に絶望を深めてしまったため、自分以外の人に助言を求めました。
すると「そういったものとは物理的(精神的)に距離を置け」と言った助言がありました。
そして実践するべく、私は絶望の原因になっている人と物理的に距離を置くことを心がけてみました、、、
しかし、
私は、物理的(或いは精神的)にも距離を置くことには、何も意味が無いと気付いてしまいました。
根本的には何も解決していない。。
絶望の存在を認め、消すことなく尊重したに過ぎない。
距離を置く行為(無視)したところで、絶望は存在し続ける(消えることは無い)という新たな絶望。。
絶望が私以外の別の人を新たに攻撃し続けるという現実。
私の大切な人や私自身を、その絶望から守る術が無いという現実。。

心を殺され、肉体をころされている人がいるのに助けることができない現実。
戦っても勝つことは永久に起こりえないという虚しさ。。

精神がボロボロで、涙が止まりません。。(↑抽象的な表現でわかりにくくなってしまったかもしれませんが、私が生きている日常で、とある解決不可能な辛いことに苦しめられています)
お坊さまは永久に存在し続ける絶望について、どのようにお考えになっておりますか。。?
例えばテレビのニュースで、虐待やいじめで傷つけられたり、耐えられず自殺してしまったり、あるいは殺されたりしてしまう人がいること、むごいことが無くなることが無い現実を、どのようにお考えですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様にお願いなさって下さいね

拝読させて頂きました。
どのような状況にあったとしても仏様は私達を全てのものをお救いなさって下さいます。
どのように辛い状況でも苦しい状況でも仏様は必ず一切の迷いや苦しみからお救いなさって下さいます。
そして仏様のもとにお導きなさって下さり仏様のもとで真理を教えて下さり、迷いや怒りや憎しみ等の煩悩を消し去り心を円満にお導き下さいます。
そこではあなたのおっしゃるような絶望や悲劇はありません。
全てのものが円満に調和を保ち続けます。

迷いや苦しみや怒りや愚かなや絶望は私達が作り出したものです。
仏様はきれいさっぱり全てをぬぐい去って下さいますからね。

あなたも仏様にお願いなさり仏様を頼りとして下さいね。

仏様は必ずあなたを絶望の淵から救って下さいますからね。

再度拝読させて頂きました。
大丈夫ですよ、仏教があるのは必ず絶望の淵からでも誰しもが救われる道があるからです。
どうか惑わされずに心穏やかに生きて下さいね。
私達は必ず救われる希望ある身の上にあるのですからね。どうかこれから安心なさって下さいね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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そんな極端な見方はできないのです。

絶望、ですか。「望みが絶えた」と書きますね。
 これって、かなり曖昧な言葉だと感じます。そもそもあなたは、「絶望というものが存在する」「永久に存在し続ける絶望」と書かれていますが、それって、どこにあるのですか?
 私が想像するに、「貴女の思考の文脈の中」にしか、「絶望」はないと思います。故に、「解釈次第で絶望ではなくなる」可能性はあると考えます。「抽象的」とご自身で捉えておいでですので、分かってくださると思いますが…。「抽象」という作業は思考において行いますのでね。
 そして、おっしゃる「根本的な解決」とは、どのような状況を指すのでしょうか?それは、不老不死を望むのと似ていませんか?
 貴女の相談を拝見していると、「デジタルな思考なのかな、情報化された思考なのかな」という感じを受けます。「有る・無い」そして「それらは固定されている」という。デジタも情報化も、人間の思考の産物です。物事をシンプルに捉えることは、決断と行動を早くしますけれど、当然切り捨てられるものも多いです。
 「〜なくなることがない現実」というのも、言葉上では間違いないです。「誰もが死亡率100%です」も同じ。「だから何をしても無駄」ですか?「せめて自分も身の回りで、そんな兆候を見つけたら、できることをしよう。見て見ぬ振りではなく」はできますよ?「だけれど、自分の力では地球の裏側のイジメをなくすことはできない」。それも本当です。
 できないことより、できそうなことを探す。自分の身の程を知り、それに見合った願いと活動を行う。順番を間違えると、身動きできなくなりますよ。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

根本的な解決というのは、一人の人が別の人に対して理不尽なこと(言葉の暴力や殺人)をする人が世界にいて、それが無くなることです。
しかし、それは不老不死を願うこと同じなんですね。。(死は圧倒的な力に感じます…)
平和を祈ることはできる、と考えるか
祈るしか無いのか、と考えるか 。。
生きるって難しくて謎です…
酷いことをする人、される人は、なんのために生まれてきたのか。。
今の状況が辛くて、、自分で死を選ばないようには、なんとか踏ん張ります。。
私の質問にお答えにするのに、貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。
私の受け取り方がお坊さまの望んでいた解釈と異なっていた場合は申し訳無いです。

光圓寺のお坊さまに続きまして、一向寺のお坊さま、ありがとうございます。
まず、お坊さまたちの言葉に救われました。
私は心が弱って、何も聞こえなくなり、何も見えなくなり、苦しくてどうしようもなくなってしまっていました。
だけれど、私はまだ聞くことができる隙間ができている時に、お坊さまの声を受け取ることができました。
自分自身の心は自分で決めることができる。
私の身近には、私の心のありようを、恐怖で決めつけようとする私以外の人がいて、、嫌だ、おかしいと、苦しい、と思っていても、私はどうしても受け取ってしまったり、影響を強く受けてしまいやすいです。。
大丈夫、大丈夫だから、と、自分の心の中では祈っても良いのですね。それはおかしいことでは無いのですね(私はお坊さまの言葉をそう解釈しました)
現実世界で辛いことやうまくいかないことはあるけれど、自分の心のありようは、鍛えれば(恐怖に負けない心)自由なのだと気付かされました。

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