「動植咸栄」と、うったえ続けるべきだと思うのですが...
私は、子どもの頃から、人類の、目を覆うばかりの傲慢さが どうにも許し難くて... そのような思いばかりが充満している者であることを、そろそろ白状しなければ、と考え始めたところでしたので、
再三になりますがお邪魔いたします
もう50年間も抱えているコトですから、ご応答頂けますとしても、ずっと後日でけっこうでございます。
私は、人間として生まれた者であれば物心がつく頃までに当たり前に辿り着くはずの
「人間のステージ」に、私は上がりそこなったまま.. そのような感覚の者です
土地というもの(この星の命とも言える「表土」)が人間の持ち物になっていること自体あり得ない!! という思考回路しか持ち合わせない者ですので、頭も心も現実の社会にはまるで向かず、耳に入ってくるニュースの大半に強い違和感を覚える日々です
自分の感覚(センサー?)を緩衝材でグルグル巻きに包み込み、何も感じないようにしないと対処できないことも生じています
(絵本一つにしても、例えば、のどかな野中の池、その周りに集まる動物たちの交流、といった、一般には「かわいらしいお話ね」と言われる類の話にしても、私は
『現実には、そのような池も、ある日突然、巨大な機械がやってきて潰されてしまうわけで・・』という思いが重たき過ぎて、甚だ受け入れ難く・・)
明治維新以前の日本は、戦闘を避ける知恵(人類の珠玉ではないでしょうか?) を会得していただけでもすばらしいことですが、この天体の一生物としての、身の丈に合った文化であったと思われます
西洋の産業革命以降、加速度的に変容してしまった文化は、まさに
兼好法師の言われる『 煩悩の増長したるもの』(徒然草38段)であると思えて仕方ないのです
東大寺の大仏建立時、聖武天皇の詔の中
《動植咸栄》との文言
(人類だけが栄えることは過ちである、と私は意訳させて頂きたく思ってしまいます)
これは仏教の影響も大きいものと思われるのですが...?
実現は極めて困難、いえ不可能なことであっても
この星に生を受けた成員として
けっして忘れてはいけないコトを、
我々生き物の まん真ん中に通っているはずの一本の心の柱を、
繰り返し繰り返し、うったえ続けていく必要があると思うのですが...
戦争という、人類の愚かしい文明から抜け出すには
あらゆる兵器の全廃しかない、と訴えることと同じく。
やはり12歳の頃、宿題に(戦争に関する本の感想文)『他の生きものたちが悲惨な巻き添えになることが許せない…』とも書いていました 根の深すぎるこの感覚には、その後は自ら強い麻酔を打ち続け、文字に表すこともなく何とかやり過ごしてきましたが、近年はその麻酔が全く効かなくなった思いです (この上なく有り難い時空に生まれ育った者故の、井の中の独り言であるとも承知のつもりですが、丸50年間抱えこんでいる大荷物です) 我々の肉体も源を辿れば全て土、宇宙の成分の一瞬の表れに過ぎないのに… 日々の排泄物すら、水に流せばハイお終い……… そも、火葬の灰、土に還れているのでしょうか?
数世代前までの我々なら「動物実験」そんな酷いことをしてまで人間だけが利益を得ようなど、まさか…! 家一軒、建てるだけでも阿鼻叫喚の図。 かわいい・いやされる、などと言える感覚も解りません、痛すぎて
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おっしゃる通りです
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃる通りですね。
そもそも自然も地球も宇宙も人類の所有物ではありません。
極論かとも思いますがどれ一つとっても私達の所有物ではありません。
私達の肉体全ては私達のものではありません。
私達が目に見えるうわずみのほんの一部で法律や社会や国家を作って所有物のように見せているだけです。
現実にはどれ一つとっても所有物ではありません。
誰もが死んでは何も持ってはいけませんからね。
であるならば本当に大切なことは何かが見方が変わります。
どんな強大な国家や組織や権力であっても永遠はありません、必ず衰退して滅びます。
平家物語のプロローグである「祇園精舎の鐘 諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す 、奢れるものも久しからず だだ春の日の夢の如し、猛きものもついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」の通りです。
どうかその真理を見つめてあなた自身善き考えや行いをなさって下さいね。それには仏教を学んでいかれることが望ましいと思います。
あなたのこれからの未来仏様の教えを学んでいかれて明るく心豊かに穏やかに生きていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
毎回ご親切なご応答をいただき、ありがとうございます。
( 明日から何日かパソコンが使えない状況になりますので、来月になりますが、
またお邪魔させていただくかもしれません。)