涅槃や成仏など本当にあるのでしょうか回答受付中
今はまだ、世界規模で見れば幸福な環境の中に居ることがわかります。しかし、いつかは死ななければならないし、死んだ後はどんな残酷な世界に産まれるかもわかりません。この世界で起こっているあらゆる残酷なことが、いつかどこかの自分が体験する可能性がある。それが恐ろしくてたまりません。
この人生は、これから繰り返す過酷な自我の前の休憩地点でしかない、と最近感じるようになりました。自我を作っているのは脳味噌と感覚器官なのですから、自分が死んだ後はまた別の生き物の感覚器官が「自分」になってしまいます。だから、できるならばこの命が終わった後はもう存在していたくない、もう二度と物質的世界に生まれたくありません。
けれど、この「生まれたくない」「存在していたくない」「他者から加害されたくない」「とにかく自分の安全がほしい、安心したい」といった煩悩が強い中で成仏などできるのでしょうか。南無阿弥陀仏と唱えればお浄土に導かれるとも言われていますが、信じるのが難しいです。物質的世界とは違った世界があるという確固たる証拠があれば安心して生きられるのですが、そうではないから毎日を不安と絶望の中で過ごしています。
科学によって生き物の在り方が判明し、政治によって私達の未来はどうしたって暗いことが判明してしまいました。故に死を意識するようになり、死んだ後の残酷さに気づいてしまい、繰り返される死へと至る苦痛に怯えるようになりました。これは「死にたかった」私への罰なのでしょうか。
物質的世界の残酷さが強すぎて、精神的世界の温かさや理想論を信じられなくなっています。人間も動物なのですから、自分を守るためならどんな残酷なことだってします。こんな世界なのに、どうすれば「死んだ後は極楽浄土に導かれる」と信じることができるでしょうか。希望を持つことも何かをすることも怖いです。何をしようとしても、「途中で自分の人生が終わらされる」と感じてしまいます。家畜や戦争地帯に生まれる覚悟、できていますか? 私にはできる気がしないのですが、今の世界の仕組みを変えることもできないと諦めている時点で、この世界の残酷さに加担しているという罪を背負っています。いつかは世界のために自分を犠牲にしなければならない時がくるのでしょうか。
この世界の残酷さからは逃れられないという事実に狂いそうになります。どうしたってたどり着く先は絶望。
苦しみが避けられない「生命」というシステムを心の底から憎悪し、「存在していたくない」としか思えない。 否定されるのが当たり前すぎて何もする気が起きず破滅思考気味。
お坊さんからの回答 3件
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こんにちは。
「どうすれば「死んだ後は極楽浄土に導かれる」と信じることができるでしょうか。」とありますが、信じられなくてもいいのです。
阿弥陀仏は名前を呼べば迎えに行くといわれているので南無阿弥陀仏と呼ぶだけでいいのです。
信じても信じられなくても迎えに来てくれるのです。
安心していても不安なままでも迎えに来てくれるのです。
なので迎えに来るまで精一杯生きて今しかできないやりたいことを一つでもたくさんやりましょうね。
じつは”平気”だから苦しんでいられる。
こんにちは。浩文(こうぶん)と申します。
これまでのご投稿お読みしました。
先に申し上げますと
ご投稿者様の感じる苦しみは
この世界の仕組みとはまったく関係ありませんよ。
ただ、ご自分の受けた今までの苦しみをはるかに超える苦しみが
この世界のどこかには必ずあっていつか自分もその目に遭うかもしれない。
そう思うと苦しいかもしれません。
でも実際はですね。
この世で、一番残酷で、恐ろしいことというのは
この世のどこかではなく
ご投稿者様の身の上に今まさに起きていることですよ。
世界とか宇宙の果てとか行かなくても
残酷さや苦しさ、痛みや悲しみは
私たちのすぐそばにあります。
今一度、ご自分を見てみてください。
今こうして私もあなたも息をしていて
こうして“在る”こと自体が
とてつもなく残酷なことであり
苦しみそのものであり、悲しみであり、恐ろしいことであると分かるでしょう。
いくつもの細胞が目にもとまらぬ速さで死に絶え
数え切れぬほどの細菌がもだえ苦しんでは死に絶え
また生まれ、死に絶えを繰り返しているのです。
ご投稿者様の身の上で、今まさにですよ。
でも私たち普通の人間には
その細菌やら細胞やらがもだえ死んでいるのを
なんとも思わず、むしろ平然としています。
そしてご投稿者様さえも
なんだかんだ
平然としているんだと思いますよ。
だって感覚として拾えないから。
そうですよね?
ということはむしろ
平然としていられるからこそ
世界のことやら科学のことやら政治のことやら未来のことやら
あれこれ考えていられるんでしょう。
そういう意味では
世界の実際の仕組みやその残酷さを
実は感じていなくて、むしろ”平然としている”んだと思いますよ。
どう思われますか?
ご自身、ミクロの世界の物凄い残酷な出来事の上に
”平然としていられるからこそ”
あれこれ思い悩んだり苦しんだりできるのではないですか。
『物質的世界の残酷さが強すぎて』とおっしゃいますけど
じつはそういうの感じないくらい平気だからこそ
苦しんでらっしゃるのだと
私にはそう見えますがね。
世界はともかく
ご投稿者様自身の人生の上で
つらいことがあったのなら、私たちや仏教には
それを変える力があります。
もしできることなら。
どうか、そちらをお聞かせください。
南無釈迦牟尼仏 合掌
あなたが救われます様に
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちやお考えを読ませて頂きました。あなたがその様に不安になり迷い信じられないと思うこともわかるように感じます。お気持ち心よりお察しします。
南無阿弥陀仏ととなえて心から阿弥陀様の極楽浄土に生まれたいと願えば必ず極楽浄土に生まれることができる、極楽浄土で一切の迷いも悩みも苦しみもなくなり安らかに清らかに涅槃の境地に達して成仏することができる、と信じることは確かに難しいかもしれません。
ですからあなたがその様に心から願い信じられるようになったら信じれば良いのではないかと思います。
これから先生きていく中でそう願いそう思いそう信じたいと思える時が来るかもしれません。
もしかしたらあなたがお亡くなりになられる臨終の時かもしれません、或いはこの世の中がことごとく嫌になりもういっそのこと死んでしまいたいと痛切に思う時かもしれません、或いはあなたが深く悲しみさみしく辛い思いをなさっている時かもしれません。或いはあなたが恐れどこにも逃げ場がないと思っている時かもしれません。
どのような時でも仏様や神様やあなたのご先祖様はあたたかくあなたのことをお見守りなさっていて下さいますし、いつでも手を差し伸べて下さり、あなたをお救いになって下さいます。
あなたがこれからの未来に不安や恐れや苦しみから救われます様に切にお祈り申し上げます。至心合掌 南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
だとすれば私の中の細胞も「存在」の被害者です。生き物のありとあらゆる営みは残酷なものです。だとすれば、私達はどうすれば良いのでしょう?
戦争や災害の危機が無ければひとまず私はこの生を全うできるのです。そうではないから、どこを向いても絶望的な未来しか見出せない、何もかもが破滅的な結論へ向かっているようにしか見えないから苦しいのです。そうではないと言える根拠がどこかにありますか? 今でもこの世界で起こっている戦争や政治の失敗による不況、資源不足、少子高齢化、エトセトラ、エトセトラ。これらを解決できる手立てなど存在しないから苦しいのです。
「大いなるものに運命を委ねていたらこんな世界になってしまった」という怒りが強いです。もしも本当に仏様が居るのなら、こんな世界にはなっていないと思いませんか? 人間は今でも戦争をやめられず、足りない足りないと奪い合いの世界になっている。これが人間の本性なのです。そのうち周辺国が日本を侵略してくるので徴兵制が始まるでしょう。戦争に巻き込まれる覚悟を決めなければならないのに、どうしても拒否したくてたまりません。けれど戦争を回避する手立てもこの国には無いからお先真っ暗なのです。私の言っていることは全くの被害妄想ではなく、実際に迫りつつある危機です。まずはそこを理解していただきたい。
私の人生で起こった辛いこと。それは、助けて欲しい時に助けてもらえなかった、それどころか私の方に問題があると処理された経験です。私を潰して問題が無いように見せかけた世界。こういったミクロな経験と、いま世界で起こっていることが深くリンクしてしまい、「正しいものではなく、強い暴力が場を支配する」「虐げられても誰も助けてはくれない、自分の身の安全を守るには力が無いといけない」という辛い記憶を煽られているのもあります。世界的事実と個人的経験が相互に根拠になって、「日本は暴力によって侵略あるいは破壊される」という結論が補強される毎日です。