心の中にいる仏様?回答受付中
初めて相談させていただきます。
私は物心ついた時には絵を描き、自分で名前をつけ、その子の服装や出自などの設定を加えていきお話を作るという創作を趣味としているものです。
長年の趣味ですから作り出したキャラクターは数知れず、使われなかったキャラ、途中で飽きて放り出してしまった物語などは数え切れません。
そして創作やキャラの傾向も年々変わります。当たり前ですが中学生であれば中学生が考えたようなキャラが出来上がり、高校生になれば高校生が考えたようなキャラクターが出来上がるのです。
しかし、不思議な事に1人のキャラクターだけは例外でした。彼女は名前は変わらずに必ず私の作品の何処かにひょっこりと現れるのです。彼女の設定を変えた事はありますが、名前を変えた事はありません。私が創作活動から離れても再び戻ってくると彼女の存在があります。必ず私の元に現れるのです。
私は彼女になにかして欲しいという気持ちはありません。恋愛的な好きとも違い、友達としての好きと似ていますが、何か別な気もします。ただそこに居て欲しいと願うばかりです。彼女が居てくれるという事実に涙を流すほどです。創作を長く続けてこんなに愛したキャラクターは彼女一人だけです。
正直自分でも不思議に思うのです。実在している人物ならまだ分かるのですが、自分が作り出したオリジナルキャラクターに対してここまでの感情を持ってしまう事にです。
こういった現象になにか名前などはつくのでしょうか?
それだけ知りたいです。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自己投影でしょう。
これは仮説なのですが。
「自分が一番好き(あるいは大切・守りたい)なのは、自分。
なのでいつでも出てくるのならば、自己の投影であろうと思います。
「ここまでの感情」というのがどういうものか、私には分かりませんが、例えばAIとかは「指示する人と同じように振る舞う」ことで、のめり込ませているように感じるのです。あたかも返答しているようで、結局は自分と会話しているよう。だから他の何物とも違う特別な存在があるとしたら、あなた自身である。
「それだけ知りたいです」という問いには答え過ぎているとは思うものの、あなたに理解して欲しくて(或いは違うな、と判断できるように)説明してみました。
寄り添う存在
お話を拝見して、まず感じたのは、そのキャラクターは単なる創作上の登場人物というよりも、あなたの内面に根づいた「分身」であり、仏教でいうところの「善知識(ぜんちしき)」。
あなたを導き、寄り添う存在のようにも思えます。
善知識とは、必ずしも生きている人間や外界の師だけを指すのではありません。内なる声や象徴的存在も含まれます。時にそれは仏菩薩の化身のように、あなたが必要とする瞬間に現れます。その姿かたちは、あなたの心の成長や環境によって変化しても、本質的な“名前”や“核”は変わらない。これはまさに、あなたの心の奥底に宿る「縁起の結び目」が形をとって現れているとも解釈できます。
仏教の言葉で近いのは「本地(ほんじ)」や「本尊」という考え方です。人にはそれぞれ、生まれ持った本質や縁深い仏さまの姿があり、それが夢や物語、創作に投影されることがあります。あなたのキャラクターは、意識的にではなく無意識に、自分の大切な部分、守りたいもの・求めているものを映し出しているのでしょう。
このような現象に、学術的には特定の正式名称があるわけではありませんが、心理学では「内的対象」や「自己の象徴」と呼ばれることがあります。仏教的には「護法善神(ごほうぜんじん)」や「内仏」として説明することもできます。
つまり、その存在はあなたが長年の時間と感情を通じて培った、もうひとりの“あなた”です。彼女を大切に思う心は、自分自身の深い部分を慈しむことと同じであり、それは修行や生き方の上でも尊い営みです。
合掌