四念住回答受付中
あらら無回答/30代
最近、仏教を勉強しているのですが、四念住における身念住がよく分かりません。
「体が不浄である事を観察する」という解説をよく見るのですが、そのままの意味で「体が汚い」と理解すればよろしいのでしょうか?もし、そうであるならば、何故その様に観察しなければならないのでしょうか?
ご教授いただければ幸いです。
2025年6月24日 22:23
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お坊さんからの回答 1件
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執着に値しないものだと悟るため
自分や他人の身体への執着、美貌や性欲、死にたくない等の執着は、悩み苦しみの原因になりますし、悟り(成仏)の妨げにもなります。
なので、身体や物質は私達が概念・観念で思っているほど素晴らしいものではないと気付かせて執着に値しないものだと悟らせるために、不浄を観察するのだと思います。
苦・無常・無我も結局は、「執着に値しない」と悟らせ、悩み苦しみから卒業させるための教えなのだと思います。
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の著書か何かで、このような内容があったのを思い出しました。
お皿の上の美味しい食べ物を自分の口に入れて、何回か噛んでから再びお皿の上に戻したら、それを食べたいとは思わない。
自分で噛んだものだけど気持ち悪い(不浄)。
というような内容でした。
また、お釈迦様は、性欲に悩んでいる人に対して、どんな美男美女でもひと皮むけば糞尿入りの袋に過ぎないと説かれました。
煩悩を滅し輪廻転生の繰り返しから解脱(卒業)するため(いつ死んでも構わないと達観するため)には、肉体への執着から離れる必要があるのでしょうね。
2025年6月25日 6:09
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有り難し