親孝行が義務感に感じる時があります
「親孝行したい時には親はなし」という諺があります。
産んで頂き育てて頂いた親に感謝する、孝行することは非常に大切だと思っています。
いろいろな著書でも親孝行出来る期間は短いとかこの世で会えるうちにやっておきたいリストなど様々な親孝行を題材にした本が出版されています。
4年前の母の入院を機に親孝行したいと思い、毎週末帰省するようになりました。
出来るだけ、美味しいものを食べて欲しいという思いから美味しいものを買っていったり、誕生日や記念日等にもプレゼントをあげたり、いろいろ自分が親孝行になるのかなということを続けています。
最近、数年間毎週続けているので上記行為が当たり前になっており、もう親孝行と言えなくなっているかもしれません。
親が期待以上のことをされて親孝行というらしいので、これから今以上のことをどんどん行っていかないと親孝行にならない気もしています。
毎週帰省しているのですが予定とか入り帰れないと、毎週末帰ってくるという当たり前だったことがなくなってしまい、親不孝になると考えてしまいます。
また、親孝行が義務感と感じてしまい辛くなってしまう時があります。
大型連休は友人と旅行の予定を入れてしまいました。
両親は大型連休中は泊まってくれると思っており、特に今年は改元があるため年越しを一緒に過ごしたいようです。
親不孝な自分を責めてしまいます。出発が迫っているので、お金の問題や友人との関係悪化もあるためキャンセルをためらってしまっています。
これから、どのような親孝行をしていくべきでしょうか?
どのような気持ちで親孝行をしていけば義務感に感じない親孝行が出来るでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無理なく続けていくことが一番大切です!
質問読ませていただきました。
一言で親孝行といっても、なかなか難しいものです。
何をもって親孝行とするか、もしくはどれくらいの頻度で親孝行すれば良いのか・・・など、詳しく突き詰めていけばキリがありません。
「親孝行」という言葉に捕らわれて、本質が見えなくなって苦悩されているんですね。心中お察しいたします。
さて、「親孝行とは何をするか?」についてです。
マルケスさんがお読みになられた本にも色々具体的なことが書いてあったかもしれません。また、「親の期待以上のことをして親孝行」と書いてあったかもしれません。
もちろん、それも1つの考え方でしょう。しかし私の考え方は違います。
例えば、色々な事情や現状や病気などによって、本に書いてあるような具体的な行動を起こせない人もいるでしょう。
また、もし親がとんでもなく欲深い人であったとしたら、ひょっとしたら親が生きている間には期待以上のことを出来ないかもしれません。
ではこれらの人達は、親が生きている間に親孝行できないのでしょうか?
そもそも親孝行とは、親側の受け取り方の問題ではありません。自分自身が感謝する気持ちを形にするという、自分側の表現の問題なのです。もちろん、自分の表現方法を親が喜んでくれればそれに越したことはありません。しかし、たとえ喜んでくれなかったとしても、自分が親の事を本気で大切に思ってしたことであれば、親孝行となります。
1つわかりやすい例を出しますと、マルケスさんがどこかに旅行に行って親の喜ぶ顔が見たいと本気で思って、食べ物をお土産に買ってきたとします。それを食べた親が、口に合わず「こんな変なモノ買ってきて・・・」と思ったとしたら、それは親孝行ではないのでしょうか?
そうではありません。親の事を本気で大切に思ってそれを行動に移した、それこそが大切な事で尊いことなのです。
また、無理をし過ぎてもいけません。自分には自分の生活があります。それを壊してまで無理に「親孝行」に捕らわれてしまえば、自分の人生が失敗したときに親のせいにしてしまうかもしれません。
親に感謝していたはずなのに、結果的に親を恨む・・まさに本末転倒です。
まずは自分の生活を大切にし、その範囲において無理なく親への感謝の気持ちを表現していくことが大切ですよ。
何か少し参考にしてみて下さいね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ございません。
ご回答頂いた文を読み楽になりました。
無理をせず、親に感謝の気持ちを伝えていければと思います。