自分にとって何が幸せなのか分かりません
私には趣味や特技がありません。
これと言って興味があるものもありません。
働いていませんが、お金に困ってもいません。
人と長い時間一緒にいることも好きではありません。
生きている意味=幸せになる為、なのかなと思うのですが、自分にとって何が幸せな事なのかが分かりません。
お金も恋愛も友達も娯楽も、瞬間瞬間は楽しいですが幸せというほどではありません。
幸せだ!と思うことが無い、このために生きたい!という目標も趣味も無い、興味も無い、働いたり苦労したくない、つらい思いをしたくない、ならば死ねば全て解決するのではないか?と思っています。
没頭出来ることがない人の幸せの見つけ方感じ方、死なない理由について教えてほしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せは自分が決める
拝
私はお茶一杯でも満足します
幸せになれます
そして同じように誰でも幸せになれます
お茶をただ美味しくなるようにいれて
美味しくいただくだけの事です
好きな茶菓子があればおあつらえです
お湯を湯冷ましで軽く粗熱をとって
茶葉を入れた急須に注ぎます
お気に入りの湯呑みに丁寧に注ぎます
五感を集中させて
手で持った温もり
香りに味、喉越し、あったまっていく身体に集中して一杯のお茶を
他には何も考えず飲み干す
「美味かった、良かった、幸せだ」と自分で思えるように丁寧に出来れば
それは幸せです
そして
だんだん経験を重ねては
茶葉の良し悪しを知り
そのうちお湯の適温に気づいたり
いろんなものが見えてくる
そういう丁寧な積み重ねの先に
いつのまにか大事にしたいことが生まれます
「何だよそんなこと」と思われますでしょうが
幸せは
つまるところ自分で決めているんです
成功体験の記憶が「好きを」決める事もあります
私はスーパーで買い物するのも楽しいのです
若い頃はとにかく値下げした食べものを探さなければなりませんでした
そして値下げの時間や店を頭に入れて狙った食べ物を探す事を覚えました
なんでもない事ですが
続けているから確率も上がって
勝率もあがって
それが成功体験になるのです
この場合なんと貧乏が幸せの素なのです
何か楽しい事を感じたいのであれば
興味のないことにも興味のあることにも
後学のためでも何でも良いから
チャレンジしていれば
必ず何かは見つかります
停滞していては誰も人生の次の扉は開けてくれません
自分自身で情報収集して
あっちこっち出向いて
あがいてごらんなさい
まだあなたは自分の全力をを出し切っていないのです
人は誰しも死ぬのです
有限な時間を
どう生きるか
死は私達にそういうリアリティーと豊かさをもたらしてくれています
合掌
幸せってなんだっけ。
まず、幸せとは何かを考えてみることから始めてみましょう。
「幸せな状態」って、その中にいるときは自覚していなくて、多くの場合、あとから「ああ、あの時は幸せだったなあ」って思い出すものじゃないかなあ、と思うのです。
何かに向かって頑張っていた時が幸せなのか、何事もなく、心が安定していた事が幸せなのか、人それぞれですが、ひとつ言えるのは、「天にも昇るような気持ち」になるような事を「幸せ」だと思っているならば、そんなのは、めったにない事です。万が一、そんな時間に巡り合えたとしても、それはほんの一瞬です。
昔のことを少しずつ思い出してみて、「あの時、少しいい感じだったよなあ」と思える瞬間があったら、それが幸せへの第一歩なのではないでしょうか。