漠然とした不安があります
気がつけば私は本当に深刻な悩みを相談できる人が身近にいないということに気づきました。
人から相談されることは度々ありますが私はそれができません。
家族や友達がいないわけではなく、私の気持ちの問題としてできないのです。
弱い部分を見せたくないのか、まわりを信頼できていないのか、相談したところで結局は自分次第という思いがあるのか、自分でもなぜ相談できないのかよくわかりません。
だからなのか、常に漠然とした不安が心にモヤモヤと巣食っているような気がしています。
今健康に不安があります。軽く、誰かに話できれば、それだけで気持ちも楽になるかもしれないのに出来ません。
不安がある自分を認めたくないのかもしれません。
どうすればもっと心を楽に生きていけるのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
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不安の正体は
ご相談拝読しました。
その「漠然とした不安」というものがどういうものかわかりませんが、いや、あなた自身もハッキリとわかってはいないからこその「漠然」なのでしょうが、それはとても大事な感覚なのだと思います。
言ってしまえばその不安の究極は「死」ということではないでしょうか。そして裏返せば「生」ということにもなるのでしょう。すなわち「必ず死すべきいのちをどう生きるのか」ということです。
そんなことは誰かに相談したところで誰も答えてくれはしません。というか答えはないのです。むしろないはずの答えを「こうあるべき」「こうでなければならない」と握りしめることこそが実は自分を苦しめるものです。
健康であるべき、いつも明るく前向きでなければならない、友達は沢山、家族は仲良く…
そいうものは全部勝手に作り上げた「答え」です。でもその「答え」は現実がそうならばかったときに自分を傷つけるものともなり得ます。
今健康に不安があるとのこと。誰かに話せれば確かに心が軽くなることもあるでしょう。しかしそれがただの気休めならば根本的解決ではありません。
おっしゃる通り話せる相手がいるかいないかではなく、話せようが話せまいが、自分の心が開いてるのかということが問題なのではないでしょうか。
心が閉じるというのは答えを握る事と通じます。一つの在り方に固執するということです。「不安はダメ」「心を楽に」というのも一つの「答え」かもしれません。
不安をなくすのでなく、不安と向き合い、不安を深く問えるところにこそ、たとえ不安なままでもむなしくないという道が開かれるのではないでしょうか。よければその道を仏教に尋ねてみませんか?
質問者からのお礼
ありがとうございました。
できるだけ、こうあるべき、を手放せるよう心がけていきようと思います。
生きていくコツを教えていただいたように感じています。