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看護師になれますか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 43

看護学校に通っています。
入学して早々なんですが、本当に看護師になれるか不安です。勉強が進むたんび、人の命を殺すこともできるし、生かすこともできると思ったら、怖いです。
小さい時からの夢だったのに、本当に看護師の道に進んでよかったのか、わからなくなる時もなんどもあります。第一希望の学校に進学できたのに、退学してしまいそうです。
けど、いい看護師になって、たくさんの人を笑顔にさせたいという希望だけあります、、
どうすれば前向きになれますか?

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

畏れることを怖れるな

”人の命を殺すこともできるし、生かすこともできる”
そのとおりですよね。
でもね、いのちの現場で恐怖を感じない医師、看護師なんているでしょうか。もしそんな医師、看護師がいたなら、僕は絶対に自分の命を預けたくなんかないけどね。

”けど、いい看護師になって、たくさんの人を笑顔にさせたい”
そうか!!じゃあ、大丈夫だ。あなたの心はまだ折れてはいない。
きっといい看護師というのは、尊き命を畏れることを知っているからこそ、よい仕事ができるんだと僕は思う。

どうか尊い命を前に、畏れることに怖れないでください。
そして、僕ら坊さんよりもっともっとたくさんの人の命を救い、支えられる善き看護師さんになってください。

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個別相談可能
【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談してください。 でも、悪い事とやりたくないことはやりません。 https://www.facebook.com/rental.monk rental_monk hasunoha.tenrakuin@gmail.com
平日は夜間のみ対応可能。

大丈夫、看護師になれますよ。

その不安は
新しい場に馴染むまでは誰もが抱く感情です。

他の同級生に話してみてください。
皆が同じ気持ちのはずですよ。
不安なのは
あなた一人ではありませんから
安心して。

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おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

まずは卒業。

おはようございます。

看護師にはなれますよ。
でも不安や怖さとのつきあい方についての情報収集は必要。
怖さの付き合い方やストレス発散方法を先輩看護師やほかの誰かに聞いてみる努力は必要です。

慣れないうちは自信より不安が大きいのは皆一緒。
最初から、いい看護師でいる人は少ないです。
不安や心配を経験や自信にかえて成長し、いい看護師になっていきます。

人の命を殺すことや生かすことへの怖さは看護師になってからもついてまわる重要なことです。
でも、それは看護師だけがもつ怖さじゃないです。
乗客の命を預かるパイロットも、幼児の人生の大半を過ごす場所を切り盛りしている保育士も同じ。

看護師の道でよいかどうかは、やってみてから判断してください。
資格を取るまでの努力は惜しまない。
努力にはエネルギーがいります。
よく眠り、よく食べ、よく休んで充電したエネルギーを夢に投資する。

応援しています。

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おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

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