お坊さんは、心が病む時は無いのですか?
私は、自尊心が低く、自分というものがわかりません。
自分を認める事が、どーしても出来ず自分自身が嫌いです。
心が疲れてしまっている時、仏様にすがるのは、甘え?逃げなのでしょうか。
お坊さん方は、こういう気持ちになる事は無いのですが?
心が病んだ時どの様に対処なさっているのですか?
お経を唱えるとよいのですか?
私なんかより、本当に苦しんでいる方がいる事も、承知しています。
平凡日々を送らせてもらってる中での、ただの甘えなのかもしれません。
けれど、変えたい変わりたいと思うだけで、どーしたらよいのかがわからないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ちゃんと逃げること。 心を回復するために。自分を優先させて。
ありますよ、病むときは。
個人的なものを抱えながらも、常日頃、臨終の現場に立ち、人の悲しみや苦しみに寄り添うのですから。背負いきれなかったり、無力さを感じ、心が踏ん張れないときだってあります。
病むと言うか、心が弱るときは、誰だってあるでしょう。人間なのだから。
そんなときはね、ちゃんと逃げること。
心を回復するために。自分を優先させて。
そして回復したら、前に一歩ずつでも、進むことです。進むから実感も湧くし、その積み重ねが、自分を強くしていくのですよ。
私は、そのバランスをちゃんと取っています。様々な活動をしていますが、決して無理はしません。あとに響くからです。だから、バランスが崩れそうになったら、その場(現状)から離れます。離れにくくても、心のために、 一呼吸、保ちましょう。
もちろん、私の支え、拠り所は、信仰でもありますから。本堂に篭ることもあるし、違った景色を見に飛び出すこともあります。
誰だって、完璧ではありません。
どうバランスを保つかを、よく知っていくことが、生きやすさかもしれませんね。
また、一人の時間を大事に出来ることも必要です。それが強さにも、力にもなるからね◎
やはり、何かの転換がないと、変わりづらいですね。気持ちや行動にね。
質問者からのお礼
暖かいお言葉有難うございます。
心に留め、日々を過ごして行こうと思います。