人間は怖いけど繋がりたい欲とのつきあい方
・中学生くらいの頃から、自然性(身体)と人間性(脳)のことで葛藤をかかえています。
主訴は、人間社会や人間関係などの人間性から生まれる生活(慣習など)がたまらなくしんどいことです。
・30代前半ではじめて、自我が人間性の部分にがんじがらめになっていたことにたくさん気づくきっかけがあり(わかりやすい例だと、他者からの言動をうけとって性の自己認識が歪んでいたことなど)、
ここ1年ほどそれとどうつき合うか、心理面と肉体的な作用の観点から勉強しています。
ただどうしても、人間性に向き合うとこじれた部分は垣間見るし、人間的な生き方ってしんどいと感じてしまいます。
脳の特性上否応なくわく精神的な欲とずっと折り合いをつける途方のなさに人間しんどい、、のような気持ちになります。
・仏教的には、人間関係性や人間社会性から離れたいと願うことは、人間の生き方としてどう捉えられるのでしょうか??
・現実的には、これだけ人間社会にどっぷり浸かって生きてきたので その恩恵からは逃れられないだろうと思いつつ(人間性や人間社会の仕組みのおかげで生きてこれていることもわかる)、
山と里の境のような物理的距離で、人里から離れて自然8割くらいの環境で暮らしたいと夢想してしまいます。
・だけれど、人間性に傷つきながら、人間関係欲のようなものが強いです。
精神的にしようがない欲だと見ながら、人間はこわいけど人間と繋がりたいのような欲とどのように折り合いをつけていればよいでしょうか?
うまくまとめられませんでしたが、アドバイス頂ければうれしいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な方とのつながりながら
拝読させて頂きました。
袖触れ合うのも何かのご縁とも言いますが、人のお付き合いの中で大事なのは「本当にお互いを大切に思えるつながりを養っていくこと」かと思います。
それぞれに大切な自分を生きていますから、自分を大切にしながら人も大切に思い生きていくことかと思います。
人付き合いで様々わずらわしいこともありますし、悪縁もあります。その様な悪縁からは離れて、共に大切に思いやりをもって一緒に生きていき天寿を全していくよう心掛けていけば善いのではないでしょうか?
私達は独りで生きているのではありません、様々なご縁の中で様々な恵みの中で生きていますから、大切なご縁を結び人としてお互いに尊重しながら生きていますからね。
素直な気持ちで心から信頼し許し合えるご縁をつないでいくことはなによりかえがたきありがたき幸せですからね。
どうかこれからも大切な方とのご縁の中でお健やかに生きて下さいね。
質問者からのお礼
ご返信ありがとうございました。
人間性はこわくて人間が信頼できない、といいながら、
こちらに相談したのは 僧侶の方の"人間の見方"を信頼している気持ちがあったからだ、とはたと気づきました。
悪縁のようなものは、身を危険から守るために脳が優先解決しないといけないとトップトピックスにあげるそうなので、そればかり心に残りやすかったのかもしれません。。
養う、ということばに はっとさせられました。正直、縁を結ぶことを避け続けていたので養えるものも養えていない、と。
お祈りとご縁をありがとうございました。すこし、目の前が晴れました。