友人から恩を仇で返されたとき
SNSで長く友人関係を持っていた人から一方的に縁を切られました。
ただ縁を切られただけなら、あっそうか合わなかったんだな、と割り切ることが出来ました。
ですが、どうしても自分の中で消化出来ないことがあります。。
友人は遠方で生活しており、時折こちらの方へ遠征に来ました。
そのときに自宅に何週間も泊めさせてあげたり、私生活がとても多忙を極めて自分のことすらままならなかったのに友人の食事の準備等全て私がやりました。
自分のことが忙しくて、他人の面倒を見ている場合でも無かったのに無理をしてでも面倒を見ていたのです。
大事な友人だったから。
趣味や嗜好が一致していて、一緒にいてとても楽しい人でした。
今思えば依存していたのかもしれません、相手が間違いなく私に好意を持ってくれていると勘違いしていたのかもしれません。
それは相手の気持ちを考えず、申し訳ないことをしたと思っています。
ですが、そうだからといってしてあげたことを仇で返すようなことをしていいという理由にはならないと思います。
見返りを求めていた訳ではないのですが、なんだか、やるせないというか悲しいというか……。
私を傷つけるような言葉ともう付き合えないという言葉を一方的に投げつけられ、LINEもTwitterもブロックされました。もう私と関わりたくないというのは分かります。それは割り切っています。
私がお言葉を頂きたいのが、様々な面倒を見てあげたのにそれを仇で返してきたという行動についてどう区切りをつければいいのか、ということです。
ずっと考え続けていて、答えが出なくて、苦しくて、持病の摂食障害が再発し、もう死んだほうが楽になるのではないかと思えてきました。
これを書いている間も涙が止まりません。
でも私がこうやって悩んでいる間も相手は気ままに笑っているのだと思うと怒りが治まりません。
私はどうしたら良いのでしょうか。
どうか、助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人の心は変化する
心は無常です。
友情だったり、趣味への熱意が変化してしまうことはあります。
また、何らかの理由で趣味に時間やお金をかけられなくなる場合もあるでしょう。
いずれにせよ、恩をきせるような考え方は、ストレスになります。
そのときにそうしたいからそうした。
そのときにやってあげた対価は、そのときに「やってあげたかったことができた」ということで、その場で完結していると考えましょう。
求めすぎではないでしょうか。
桃太郎の犬猿きじも、きび団子で鬼退治まではしてくれましたが、未来永劫ペットにはなってくれないでしょう。
質問者からのお礼
ご解答ありがとうございます。
「そのときにやってあげたかったことをやってあげられた」という考えを持つこと、という視点に少し心が楽になりました。
ただ、私は自分を拒絶されたことより彼女はまた同じことをまだ見ぬ誰かにするのではないかということが心配でなりません。私のような思いをする人をまた作ってしまうのではないかと…。無駄な心配かもしれませんが、これ以上犠牲者が出ないことを願います。