因果応報とは
よろしくお願いします。
因果応報について教えてください。
私は、自分の軽率な行動で、たくさんの方々を傷つけてしまいました。
今でも、私のせいで涙しながら生活している人がいます。
私はこれからしあわせに生きることはないと思っています。それは自業自得だからしょうがない。そういう人生を生きることが、自分のしたことの因果応報なのかなと考えます。
でも、わたしが傷つけてしまった人たちはどうなるのでしょう。
何も悪いことはしていないのに、私の行動のせいで傷ついている。
因果応報ということが本当にあるのなら、傷ついている人たちは、過去に何か良くないことをしたということになりませんか?
それはおかしいと思うのです。
因果応報とは、なんなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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因果応報は実は中々難しい概念
因果応報については一般的にもよく知られた言葉・概念ではありますが、専門的・学問的にきちんととらえるならば中々複雑で高度な内容なのではないかと思います。
正直に言えば私もきちんとは理解できていません。
しかしながら因果応報とはこういうものだとは中々言えなくとも、こういうものではないということは少し分かるかもしれません。
それは因果応報とからめて良く言われる善因善果、悪因悪果です。
つまり良い行いをすれば良い結果(楽)が得られ、悪い行いをすれば悪い結果(苦)が得られるというものですが、その時の善悪は世俗的な善悪と混同するとそれは間違いということです。
仏教的な善悪とは覚り・涅槃に近づくことが善でそこから遠ざかるのが悪です。
すなわち善因善果は覚りに近づく因により覚りに近づく果を生む、悪因悪果はその逆という至極当然の内容となります。
それを世俗的な善悪感と混同し、例えばお金が儲かるとか病気になるとか、恋人ができたとか別れたとかそうした内容によって考えてしまうとそれは違うのではないかと思います。
なので因果応報について考えるならばそうした善悪感を踏まえて考えるよりはもっと単純に「物事には原因があって結果が生まれる」とした方がシンプルでしょう。
あなたと出会った人もあなたと出会ったという原因によって何らかの結果を得たのです。なぜ出会ったのかと言えば同じ時代同じ場所に生まれたから、なぜそう生まれたかは親が…とか、まあ考えられる範囲で考えても原因はどこまでも遡ったり膨らんだりしていきます。
つまり人間の考えを超えているということです。それを不思議と言うのです。不思議というのはわけのわからない(原因のない)ということでなく、(原因が膨大で)人間の考えが及ばないということ(でも原因はある)です。
そしてどうしても善悪の問題を考えたいのであれば、善悪の報いは何らかの具体的な出来事・現象として得ると考えるよりは心の報いとして得ると考えた方が健全ではないかと思います。
そすうると心に苦を生じる行いが悪因であり、心に(本当の意味での)楽を生じる行いが善因ということになります。
心に苦を感じるならばそこには思い通りにならないものを思い通りにしたいという心の行いがはたらいています。そうするとやはり今の自分という果は過去の自分という因と無関係とは言えないのです。
色んな条件が複雑にからみあっている
色んな条件が複雑にからみあっているので、単純に宿命論的に因果を考えることはできませんね。
しかし、たとえば、人間ではなく天(神様)に生まれていたら、相手の人はあなたに出会わずに済んだのです。
天ではなく人に生まれてしまったのは、やはり過去世の業の影響ではないでしょうか。
私は、因果応報や自業自得という考え方が好きです。
それは、「自業自得だざまぁみろ」とか言うためではありません。
世界中の人が、自分のどんな不幸も「自分の過去の行いが悪かったのかな」と受け止めることができれば、他人を恨んだり八つ当たりすることはなく、世間は慈悲と冷静さに満ちた平安な世になると思うのです。
だから、私は因果応報の考え方が好きです。