私の償いとは何ですか
こんにちは。
5,6年前(独身時代)に自分から不倫を断ち切ったものの、結婚し子どもを持った今、不倫をしていたという事実に毎日強い罪悪感に押し潰されそうになっていることについて、先日から相談させていただいております。
ご相談を重ねお答えいただいたおかげで、自分が何に苦しんでいるのか、少し見えてきたように思います。
今、一番苦しいのは、特に代償もなく、幸せに暮らしていることは、許されるのか、ということです。
5,6年の間、1日も後悔と罪悪感を忘れた日はありません。本来、人並みの幸せを望むべきではなかったのかもしれませんが、親を安心させたい気持ちと、きちんと人生を生き直したい気持ちから、婚活をして結婚し、子どもにも恵まれました。
しかし、子どもがどんどん成長していくのを見るにつれ、罪悪感がこれまで以上に大きくなりました。「子どもの成長を喜び、楽しんで良いのか。」「この社会で自分が堂々と生きていてよいのか。」などと考え始めると、後悔と罪悪感で頭が支配されて苦しくなり、食欲が落ちたり、育児に影響が出そうになったります。
罪悪感は、これからも背負って生きていくつもりです。
私が幸せに生きることは許されるのでしょうか。
これから生きていくなかで、私にできるせめてもの償いがあるとすれば、どのようなことですか。
ご教示のほど、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こころに「戒律」が生まれたのです。
拝読させていただきました。
心中、艱難辛苦とお察しいたします。
人は生きていれば、大人になっても、教養があっても、ふとしたときに「邪魔」(邪念+魔)が差すこともあります。
そのときに、人は過去の失敗や振り返れば恥ずかしいことなどを脳裏に焼き付いています。そういった自身の中の失敗こそが、これから先の人生において、大きな失敗をしない唯一の生き方ともなります。
僧侶も皆、戒律(戒+律)といったものをお授けいただき、僧侶の道を歩んでいきます。しかし、私たちも全てを上手く戒律を守ることは難しいこともあります。
失敗したからこそ、次に失敗をしない人へと成長できる大きな糧をいただいたのだと思っていただいたらいいと思います。
「人は完璧な人はいません。また、人生振り返れば、恥ずかしいことばかりです。前を向いて歩くしかないのです。」
自身の罪悪感を他人に見せなくていいのです。
自身の罪悪感が表面に出てしまうと、お子さまにも母親の自信のない背中が映ります。
過去は過ぎ去りました。
もう過去は過去なのです。
今を生きる大切さを。
もう心配はここまでです。
合掌
南無大師遍照金剛
質問者からのお礼
法源様
ご回答ありがとうございました。
私の話にじっくりと耳を傾けていただき、静かに丁寧に語りかけてくださっている…そのような気持ちで拝読いたしました。
前を向くしかない。
過去は過去。
悩むのはここまで。
など、一つ一つのお言葉が胸に染みました。
2度とこのような失敗はしない。それだけは固く誓えます。
家族や周りの人の笑顔を大切に、生きていこうと思います。
救っていただき、本当にありがとうございました。