いつも悲しく苦しい
子どもの頃から突然に涙が流れたり、悲しくなったり、息ができなくなったりしてきました。
私の悲しみは、どうも自分の悲しみではなく、「誰か」の悲しみだとはっきりとわかるのです。なぜそう感じるのか、根拠はありませんが、「ああまた誰かが苦しんでいる」と、涙が止まらなくなります。
カウンセリングなども受けましたが、双極性障害と診断され安定剤をもらうだけで、効果はありません。仕事にも差し支え、生活も困窮しています。
ただ、それ以上に、「誰か」の不安がふいに襲ってきて、苦しさで死んでしまいたいと思うこともあります。
ああ、あと一歩踏み出したら、この悲しみから逃れられるんだという思いが湧き上がってきます。私は誰の悲しみを感じているのでしょうか?人はそんなことが起こる生き物なのでしょうか?誰に相談すればいいかわからず藁をもすがる思いでここに来ました。
元気な日もありますが、調子がいいなと思っていても、ふと不安になったり、怖くなったり、安定しないのです。どうか、アドバイスを頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それがあなたの縁
ご相談拝読しました。
ふいに悲しくなったり不安になって苦しいのですね。
それは具体的な「誰か」や誰かの「何か」という固定されたものでなく、あなたの特性から感じ得るものではないでしょうか。
感受性・想像力・共感力などが高い事で、あなたを取り巻く縁(えん)、すなわちあなたが見聞きしたり思い出したり想像したりする全ての要素から受けるあなたの感覚なのではないでしょうか。
>人はそんなことが起こる生き物なのでしょうか?
とのことですが、そんな生き物こそが人間です。遇縁存在(ぐうえんそんざい)と言いますが、その時その時の縁によって成立するのが私たち人間の姿なのです。
なので不安や悲しみを感じることをなくそうとするのでなく、許して認めてはどうでしょう。
「ああ、今私はこう感じる縁の中にいるのだな」
と自分に湧き上がってくるものを認めて抱きしめてあげる。それらはあなたの条件であり、あなたそのものではない。だからコントロールすることはできないが、排除する必要もないのです。
もちろんそうした受け止めは個人の考え方だけでどうにかなるものではないのかもしれません。その場合は医療機関の受診はやはり必要でしょう。
しかし仏教的に言えばそれは「考え方」というよりも考え以前の「事実」なのです。
事実に身を任せてこそ救われるのだと思います。それは同時に事実に逆らおうとする自己の姿を突きつけられることでもあります。でもその「救いようない私が救われる」という矛盾を超えるものこそが宗教なのだと思います。
またいつでもご相談ください。
脳という臓器の反応。
脳という臓器(部品)が反応しているだけだと思います。
人間は他の動物よりも大脳が発達しており、複雑な思考ができます。脳の反応に、人間特有の複雑な理由付けをしているだけで、基本的には背中がかゆくなるのとかと同じで、肉体の一部が何らかの反応をしているだけではないでしょうか。
ですから、「あ、これはただ脳が反応してるだけだ」と冷静に受け止め、そこに妄想や空想を乗せない、物語をつけたさないことが重要です。
感情を引きずらないようにしましょう。