愛犬の死
15年実家で飼っていた愛犬が先週の金曜日に亡くなってしまいました。
犬は人間より遥かに寿命が短く年をとるのも早いので、15年間という年月を思えば特に大きな病気にもなることもなく、とても長生きしてくれたと思っています。
しかし、亡くなる前の数日間は、食べるものも受け付けず体力的にも日に日に弱っていき見てるのも本当に辛いものでした…
愛犬も最後はかなり辛かったのではと思いますが、私が近くに来たのがわかると立ち上がるのもやっとな感じなのにフラフラしながらもそばに寄ってこようとしてくれました。でも私はその時、愛犬のそばからすぐに離れてしまい別の用を済ませに行ってしまったので、用を済ませてまた愛犬の所は行きましたがもうその時には立ち上がることができなくなってました…
でもまだ息はしていたのでとりあえずまた来るからね!と声だけかけてその日はそのまま帰ったのですが、それが愛犬と最後の交流となってしまいました…
フラフラしながら自分の方へ寄ってきてくれた時にもしかしたら愛犬は触れて欲しかったのかな?何か伝えたかったのかな?とかあの時こうしておけば…と愛犬がいなくなってから愛犬の存在の大きさと後悔の念のようなものが出てきてなかなか心の整理がつきません。
あと、供養の事でも、生前お友達を作るのがあまり上手ではなかった愛犬が少しでも寂しい思いをしないようにと地元の斎場で火葬したあと、返骨なしで合同での供養と埋葬でお願いしました。ですが、愛犬の埋葬される予定のお寺が家からだいぶ離れた県外の場所になると後から分かり気軽にお墓参りもできる距離でもないので、そんな遠くの場所に埋葬させてしまうことへの罪悪感もあり、愛犬にとってこれで本当に良かったのかと本当にこの選択で愛犬は幸せだったのかと自問自答を繰り返しながらふと気づくと涙を流してるような毎日です。
この気持ちがいつか癒されていく日は来るのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その子は幸せに生き抜いたのです
拝読させて頂きました。
大切なその子がお亡くなりになりあなたは深くお悲しみなさっておられるのですね。そして深い後悔をなさっておられるのですね。あなたのお気持ちをこころよりお察し申し上げます。
その子が速やかに仏様に導かれて仏様のもとにて心安らかになります様切に仏様にお願いさせて頂きご供養させて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
その子は必ず仏様のお迎えを受けて仏様のもとで心から安心なさって下さいます。そして一切の迷いや苦しみから救われて円満にご成仏なさいます。これからあなたやご家族も皆さんや親しくなさって下さった方々をいつも優しく見守っていて下さいますよ。
あなたの悲しみや後悔は尽きないでしょうけれどその子を思い手を合わせて真心込めてご供養なさり、その子にあなたの思いをありのままお伝えなさって下さいね。
その子はあなたの思いを素直に受け止めて下さいます。あなたを優しく包んで下さいます。
その子はあなたやご家族の皆さんと一緒に一生懸命に生きて皆さんと幸せに生き抜いていかれたのです。
今でもその子にはあなたやご家族の皆さんとの幸せな生活やご縁がいきづいているのです。
その子とのご縁はこれからもずっと続いていくのです。
あなたはこれからもその子とのご縁の中で生きていくのです。どうかこれからもその子とのご縁を大切になさり真心込めてご供養なさり、皆さんと幸せに生き抜いて下さいね。そのそばには必ずその子が皆さんを見守っていて下さるのです。
いつの日かあなたが天寿を全うする時には必ず仏様があなたをお導きなさって下さいます、そしてその子があなたをお迎えなさって下さいます。その子とはこれからも共にあるのですからね。
質問者からのお礼
供養の方と回答をして頂きありがとうございます。
愛犬と最期の交流となってしまった日に、愛犬がフラフラしながら自分の方へと寄ってきてくれた時のなんとも言えない切なそうな顔を愛犬がしていたのがずっと頭から離れなかったので…
後悔や罪悪感を感じ、心にモヤッとしたものを持ちながら悲しみに暮れて毎日を過ごしていました。
でも、愛犬は心から安心して一切の迷いや苦しみからも救われて円満に成仏することができてるのですね…
この言葉を話していただいて少し気持ちが楽になれた気がします。
愛犬を失った悲しみや寂しさは変わらずありますが、この子と縁を大切にしながら幸せに生き抜いて行きます。またいつの日かこの子と再会できることを楽しみにして真心込めて供養したいと思います。
そしていつの日かこの子が埋葬されている遠くのお寺にもお墓参りに行ってみたいと思います。今回はありがとうございました。