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死にたくないと思えない

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有り難し有り難し 11

一人で問答を繰り返してもどうしても分からないのでこちらで質問させていただきます。
私は生きることがつらい、苦しいわけではありません。勿論生きる上で多少の苦労はありますがそれのせいで人生が嫌になったわけではありません。

ただ、死ぬことにあまり抵抗を感じないのです。

積極的に死にたいわけではないが、無理してまで生きる理由に乏しい、と言うべきでしょうか。
例えば誰かから死ねと言われて、それが誰かの得になるなら死ぬでしょうし、身代わりになれと言われたらこんな自分で良ければと身を差し出すでしょう。

今私の命を繋いでいるのは「自殺すると周りが変に気を使ってしまうだろうな」「葬儀費用で親類に負担をかけたくないな」という思いだけです。
愚かしい話ですが、いっそのこと誰からも忘れ去られ、ひっそり野垂れ死に無縁仏に入れたらいいのにと、少し窮屈に感じる自分がいます。

家族が嫌いなわけではありません。むしろ愛されて育ったと自覚しているからこそ、その愛に報いるほど生に情熱を注げない自分が情けなく、なんでこんな自分に生まれてしまったのだろうと感じます。

きっとこんな話をすると周りからは嫌な事があったのかと心配されるかもしれません。似た考えを探しても、心を病まれた方の話が沢山出てきます。しかし私はどちらでもありません。

私のような考えは、一般的ではないのでしょうか?
それとも皆、心の奥底では似たような事を考えているのでしょうか?
それともこのような誤った考えは即刻改め、前向きに生きる努力に励むべきでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

執着がないのは素晴らしい

生への執着は、最大の煩悩(悩み苦しみの原因)です。
執着の煩悩が弱いのは、仏教的には素晴らしいです。
ただ、今まで楽しめていたことが楽しめなくなったとか、死にたいという気持ちが何日も続く場合は、「うつ」などの可能性があります。
死にたくて辛い場合は医療に相談を。
お釈迦様は、悟って生への執着がなくなったあと、40年以上生きました。
その理由は、他人から教えを請われたからです。
ご本人は生への執着はなかったが、他人に頼まれたから生きた、他人のために生きたのです。
あなたも、自分への執着が弱いという「能力」を、他人のために使ってみては?

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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そう思います

拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお感じなさったり、そう思われることもあるかと思います。
それは今までのあなたが生きてきた環境や状況やあなたの心のあり様によってもたらされているようにも思います。
とはいえそれは現時点でのあなたの思いであり心のあり様ですから、あなたがこれから年を重ねていかれたり、家族との関係性や周りの方々との関係性、或いは社会のあり様によっても大きく移り変わるものです。
私達はいっときとして同じところにとどまることはありません。今考えていることは次には全く違う意見や感想などに変わることは充分にありうるのです。
そのように常に移り変わりゆくものが私達の心や体ですし周りの環境や状況や人々やものごとですからね。

ですからあまりこうなんだ!と決めてかかることではないかと思います。
そのような自分の状況であるのだ、というお心持ちでよいのではないでしょうか。

あなたがこれからも心豊かにお健やかに皆さんと仲良く幸せに生きていかれますようにと心よりお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

大変有り難い言葉、ありがとうございました。

お釈迦様は生への執着を絶った後も他人の為に生きたのですね。
生きる理由を他者に依存している自分は意志の弱い、劣った存在ではないかという思いがどこかありましたが、少し気が楽になりました。

今の考えに固執しない、ということも大事ですね。自分は今こう考えている、だから自分は普遍的にこうなんだと決め付けていたように思います。
今までだって物の見方や考えが不変であった事など無いのに、すっかり忘れていました。

生きる理由がない自分は果たして正しい存在なのか間違った存在なのか、私はそんな二元論に凝り固まっていたのだと、お二方の言葉を通して気づきました。

生きる理由が無いという事に正しいも誤りもなく、それが今の自分であると、白黒つけないことにします。

間違えて連投してしまいました。申し訳ありません……

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ