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親の望む道を行くか、自分のために生きるか

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有り難し有り難し 15

私はお寺の長女として生まれました。弟もいますが、軽度の障害があるため、父も母も「あいつには無理だ」と言っており、長年私がこの寺を何とかするものという暗黙の了解がありました。

大学を卒業後、付き合っていた在家の彼氏と結婚をしました。彼は大手のITの会社で働いていましたが、寺を継ぐために、後々修行をして住職として働くことを了承の上結婚をしました。ですが、快くOKしてくれたわけではなく「一緒にいるためには、そうするしかないから、仕方なく継ぐ」と言った感じでした。

2年後、会社を辞め修行の道へ入ることになりました。彼は会社を辞める際、なぜそんな人と結婚したのか?もっと良い人がいたのではないか?と言われ傷ついていました。かと言って離婚するわけにも、修行を断念するわけにもいかず、結局春からの修行へ行くこととなりました。

しかし、その内容は本人も私も想像を超えるものでした。私が寺の娘なばっかりに、好きな人に辛い思いをさせ、仕事も辞めてもらうことになり、とても負い目を感じていました。私の人生に付き合わせて申し訳ないとも思っていました。

私は自分のせいで辛い思いをしている彼をそばで見ていることが出来ず、彼は仕方なく始まったお坊さんの仕事に意義を見つけられず、結局夫婦関係は破綻してしまいました。

それから私は、もう一般の方と普通に恋愛をして結婚することは叶わないと思うようになり、お見合いもしました。しかし、父の仕事に対する姿勢や、本山の悪い噂など、仏教に対する不信感は強まってしまいました。

両親は、今まで寺を修繕したり、家を建てたりしてきたので莫大なお金を寺につぎ込んでいます。それは、私が継ぐ時に困らないようにとのことだったので、そうならなければ今までの努力もお金も失うと思っているようです。
自分たちは今まで住んでいた家を失い、私は実家と呼べる場所がなくなります。

でも、私には今やりたいことが他にあります。父や母を悲しませたくはありませんが、親の思うようにだけ生きていくのももう限界です。

それを父に伝えましたが「考えが甘い」「自分が幸せならそれで良いのか」「周りを幸せにして初めて自分が幸せになれる」と言われ全く聞く耳を持ってもらえません。

親は強者で、子どもは弱者。こちらが真剣に話をしても、所詮子どもの言うことと片付けられてしまいます。

どうすれば良いでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悩ましいですね…今全てを決めなければダメですか?

ご相談拝読しました。

とてもヘビーな内容なので「こうしなさい」なんてことは言えません。あなたの中で自分の進む道が見えてくる助けとなれば幸いです。
そういう意味では今全てを決めてしまうのでなく、とりあえずフワッとしておいて一旦お寺を出るなんて選択肢も…ないでしょうか。

さて、お寺に関する要因で夫婦関係が破綻してしまったことについては本当に悲しい思いをされましたね。聞かせていただき胸がつまる思いです。

ですが、けしてお寺だけ、あなた方家族だけの問題でなく元ご主人にもそうなってしまった要因はあるはずです。どうか自分だけを責めないでください。

私自身も実は一度寺を出ようとしたことがありましたが結局実家の寺に戻り、現状では満足しています。お寺を支えてくれる人々、地域の人々との出会いは有り難いし、何よりも仏教の教えには本当に頭が下がる大事なものを感じます。

ですが言いたい事は、だから継ぎなさいではなく

「それがあなたでなくてもいい」

ということです。

ご両親も僧侶とは言え人間ですからあなたやあなたの結婚相手に継いでほしいという執着もあるでしょうし、ご家族皆様も慣れ親しんだ住まいを出たくないという執着もあるでしょう。

しかし、厳しい事を言えばそれはお寺本来の役割・使命とは別のものです。

お寺の役割・使命は何よりも仏教の教えにともに学ぶことです。そこに住まわせていただく住職は先頭に立って学ぶ身です。その中で教えによって自らの在り方が必ず問われてきます。先ほど挙げた執着もその一つの姿です。

ご両親が教えに学ぶ仏弟子であるならば、もちろん人として執着は捨てられないまでも、同時にその姿に気付き、娘であるあなたの考えもいつか理解してくださるのではないかと思います。

あなたがやりたい事があるならば私はそれを応援します。

しかし、どんなことをしたとしても心の底の底で人間が求める本当の満足は仏教があなたに教えてくれるのではないかとも思います。

なぜならば人間はいつか死ぬからです。いつか死ぬ有限存在である人間の満足は無限からでしかもたらされないからです。

そうしたことも頭の片隅に置きつつ、今はいったんそのやりたい事に進んでもまだその後に最終的な決断をする時間はあるのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。読んでいて涙が出ました。ずっと苦しい思いをしてきて、自分の宿命や境遇について考え、死にたいと思うこともありました。それを親にも伝えましたが、分かってもらえなかったため、やはり私の方が間違っているのか、両親にとっての私は寺の後継者でしかないのか、とまた心を病みそうでした。愛されていることも理解はしているのですが、板挟みになりとても苦しかったので、ご意見を頂けて救われました。ありがとうございました。

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