住職の妻は寺の嫁?
初めてご相談させていただきます。
禅寺の住職と結婚し、数年の内に寺族安名式と寺族研修を修めております。
ですが私の性格上(向き不向き)、どうしても寺の嫁として期待される作務で日々を過ごす・働くのは窮屈に感じてしまいます。
一般企業で就職し、会社の駒でいるほうがずっと働きがいを感じられます。
ですが、結婚を機に引っ越したお寺は田舎で周りに会社が少なく、また菩提寺として檀家さんからのお布施でつつましくも兼業が必要のない所です。
なので周囲も義家族も夫も私に対して「あなたは当然お庫裏さんでしょう」の感覚を当たり前のように押し付けてきます。
もちろん結婚前に夫の言う「大丈夫、難しいことなんてないよ。できるよ」を深慮せずに、大好きな人との結婚に舞いあがってた私に責任が無いとは言いません。
ですが在家のイメージと寺育ちのイメージの乖離にお互いが気付くには、結婚前だと中々難しいものがあると思います。
檀家さんとお寺を護っていこうとする夫や義両親の姿勢は尊敬していますが、結婚して一緒に過ごせば過ごすほど私にはできない、したくない、寺族としては関わりたくないという気持ちが、強く固まってきています。
もちろん人付き合いはしますが寺の嫁と見られますし、狭い田舎なのでとにかく身元が筒抜けなのも気持ち悪いです。日常の買い物ですら監視されている気分ですし、大げさに言えば清く正しく慎ましくあって当然、すばらしい義母に導かれ良き寺嫁になってくださいね。と重圧すら感じます。
婚姻届に寺族の誓約書でも付いていたっけ?と思うほどに信教と職業選択の自由を奪われています。
夫が住職なんだから当たり前でしょ、と言われますが、例えば自衛官の妻に国防の意識を強制しますか…?
仏教だから疑問に思われにくいだけで、義家族と夫の行う宗教マインドに染まりましょう、というのは私からすれば新興宗教の勧誘と変わりないのではと思うようになりました。
頼まれた時に手が空いていれば留守番や片付けくらいはします。ただ毎朝本堂へ手を合わせに来いだとか、夕方の鐘をつく役割をしてほしいとか、寺族の勤めを促してくるのはやめてほしいです。
長くなりましたが私だけは、在家・OLのように過ごしたいと思っていることを どのように伝えればいいでしょうか。相手の人生を否定する気はないのですが、私の❲生きやすさ❳は否定されそうで悩んでいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の立ち位置や生き方を、確立していけばいいと思うのですよ。
自分の立ち位置や生き方を、確立していけばいいと思うのですよ。
どうしても、立場的に求められるものがありますし、周りもそういうものだろうとイメージを持ち、期待をする部分も理解しましょう。何も知らずに結婚をしたということは、さずかにないでしょうから、あなたも夫が住職であり 妻がどう呼ばれるかは、納得の上での結婚だったことでしょう。
実際に嫁いだ後、感じる存在や求められる空気を肌で感じながらも、ただ抵抗するのではなく、上手く立ちまわりながら、あなたの立場を確立していけばいいのですよ。
いろんな寺嫁がいますから。
私もその一人ですが…
信仰に関しては何の不安もありませんでした。なぜなら、私も同じ教えの中で育ってきたからです。ですから、手を合わせる生き方に対しては、何の抵抗もなく、むしろ仏様を感じる環境で生きることが有難かった。
そして、寺嫁の役割については、宗旨がどうだから〜というより、地域や夫、姑との関係でどうにでもなりますし、どうにかできますよ。
周りを取り込みながら、上手く自分のやりたいように運んでいくのは、妻の行動一つです。
私も、他にいろいろ仕事や活動をしています。住職にもなりましたし、子育てや自由時間も自在です。結婚して20年近くなりますと、嫁は強しですよ。
応援していますよ。
だれもあなたを束縛はしていません ですが だからこそ上手に
(*'▽')人はそれぞれそれぞれが独立した存在です。ご自由になさってください。
ですが正しさを理由にあまりツンツンした態度になればそれはそれで信教の自由だといっても相手や周囲にも不快な思いをさせてしまうものです。あなたの信教の自由も大事です。それよりもっと大事なのは真実の宗教的精神。優れた理性、知性、状況判断能力、徳、仁徳、利他、孝順、優れたその宗教精神をもってまわりとも衝突なく問題が起こらないように行動いたしましょう。
曹洞宗の元管長、閑月即真禅師雲海興宗大和尚の教えに「正義で人を斬るな」というものがあります。
禅師様はいつも穏やかでしたが間違ったことには妥協されず「あるべきよう」を貫かれました。
あるおめでたい法要の祝賀会のこと。
弟子の一人に「坊さんだったらこうあるべきだろう」「正しい仏法とはこうあるべきだ」という「正しさがお強い人」がおられまして。禅師様はお祝いの席でその弟子をみんなの前で会場が凍り付くほどに叱咤激励されたのです。
凄い教導の精神だなぁと今も胸に刻まれております。
隣にいた法友(立派なお坊さん)がそれを受けて「丹下さん、自分も宝〇寺に居たとき指導職にあって、お坊さんとはこうあるべきだ!という精神が強くてね。それで雲水たちに厳しくしていた時期もあってね。そしたら、外国から来ていた尼僧さんから❝あなたの言っていることは正しいけどやり方が間違っているわ❞と指摘されてね…。」正しさや正義とは時に人を傷つけるものだと猛省。
ですが、別にそのお弟子さんを誰も責めるでもなく、そのお弟子さんに不満を持っていた地域の人たちの溜飲も下がり、そして真の仏法的な在り方とはこういうものであるという訓戒、教導をされより良いあり方にお互いが気づき誰も傷つけるでもない流れで幕を閉じました。大衆統理。
めでたいお祝いの席でおめでたいことや形式よりも「人として本当に大事にするべきこと」とは❝あなたがこうしたい❞ということよりも、ちゃんとそこで周りと溶け込んでより良い形を作っていくことなんだぞ!そんな自分自分した態度が強いようでは今後いくら正しいことをやろうとしていてもそれは通らないぞということを訓戒されたのです。これは質問者様のみならずご主人にもご家族にも私自身にもいえることですので責められているとか誤解せずここから活路を見出してください。
大衆統理 乳水和合 和顔愛語 和合僧
ご質問ありがとうございます。
信教の自由という点に関しては確かに配偶者に強制することが多い場合があるのも事実で、同じ僧侶として申し訳ありません。できるだけ配偶者の信教を尊重できる環境を作っていきたいですね。
たとえば、ご主人が通勤できる範囲の所(車で1時間以内)にあなたの家族3人で転居して、ご主人が毎日お寺に通勤する形にしてみるのはどうでしょうか。
あなたはお子さんを保育園に預けて仕事に行けばいいと思います。
ご主人の親の介護が必要になったりと情況が変わっていずれは同居しないといけない時が来るかもしれません。その時にまた同じ問題に悩むかもしれません。
それまでは別居してもいいと思いますよ。
ただし時々はお孫さんの顔を見せに行ってあげてくださいね。
納得感を探る
結局は、夫と腹を割って話し合うしかありませんね。
人それぞれ、お寺それぞれの事情がありますから、あなた方夫婦に合ったやり方を選択すれば良いと思います。
ただ、現実的にお寺の仕事のお手伝いは必要なようですね。
どうせやらなきゃなら、納得感があった方が怒りのストレスを軽減できるでしょう。
たとえば、マイホームの土地代が安く済んでいると意識してみる。
それをバイト収入だと考えると、あなたの毎日の仕事も無料奉仕ではないと思えます。
さらには、実際にあなたが夫から現金でバイト代(お小遣い)をもらうという選択肢もありだと思います。
また、お寺の施設を使用して、あなた自身がやりたいイベントを開催させてもらうこともやりがいにつながるかもしれません。
あなた自身に何らかの趣味があるならそれに関連した催しや体験教室等を開催するのです。
あなた自身が講師等にならなくても、外部から講師やゲストを招いても良いです。
例えばヨガ教室や写経教室、音楽やお笑いのライブ、趣味のサークルや実用的な知識の研修会など、お寺の施設や看板を利用してあなたが楽しめるイベントを開催できれば、やりがいを感じられるかもしれません。
子育てのコツ(子どもの心理に関するテクニック)や認知症サポーター養成講座、自殺予防(ゲートキーパー)等、役所を通じて講師を紹介してもらうことも可能です。
地元のお店等に頼んでお菓子づくり教室やメイクアップ教室、絵が得意な檀家さんに講師を頼んで絵画教室等も可能性があります。
「やりたくないけどやらなきゃならない」を「どうせやるなら楽しむ」に変えるとか、「愚痴を言いながらやる」を「メリットとデメリットを計算した上でやらないならやらないと宣言する」など、納得感がストレス軽減につながると思います。
住職夫人は社長夫人みたいなものだから、夢みたいな話を実現できるポテンシャルもあります。
質問者からのお礼
聖章様
回答ありがとうございます。
夫は住職としてこう在りたいというイメージがしっかりしているようで、、ご提案頂いたお寺に通勤は、お付き合い時にこそ仄めかしてくれましたがいざ結婚するとなると義両親含め「家族皆がお寺で生活」の一択に。現在は家も新築し敷地内同居となっています。私と子が別居のスタイルも相談しましたが「家族なのに寝食離すのは違う」とのこと。
新居で子と2人楽しく過ごし半月経った頃、庫裏からの呼び出しで「隣にいるのに毎日会えないのは変。毎日食事をしに庫裏へ来なさい。」との強制お付き合い中です。もう離別するしかないのだろうかと悩んでしまいます。
私側に寄り添ってのご回答を頂け、気持ちが軽くなりました。ありがとうございました。
中田みえ様
回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、周囲からどう見られるかの予想はしておりました。中田様も年月をかけて立ち位置を作られていったのだと推察いたします。
義家族の人間性は好きなので年に数回であれば良い付き合いをしようと前向きに思えますが、いつも一緒に・寺務をまじえてとなると窮屈感を超えて拒否感に。その派生で、妻の味方になりきれない夫やお寺の環境へ対しての嫌悪も生まれてしまう次第です。もはやじっくりと私が立場を整えるよりも、鬱になる前にさっさと離れてしまいたい気持ちでいっぱいです。子どもの為に踏ん張っていますが…。
応援のお気持ち嬉しく思いました。ありがとうございます。
願誉浄史様
回答ありがとうございます。
納得感を探る…行き詰まりを感じていた思考に新鮮な風を吹き込んでいただいた感じがいたします。
おっしゃるとおり、現実問題お寺の仕事の手伝いは必要であるのは理解しています。しかしながらそれを行うのは私でなくとも良いはずなのです。
夫や子に対しては「私は妻であり母であること」を誰との替えがきかない私だけの権利と責任と愛情に感じています。
しかし護寺はどうでしょう。。檀家さんもできますし、庫裏での事をどうしても身内でやりたいなら寺で生まれて育ってきた義親族が市内におります。夫と同じように仏飯の恩と地域からの恩で育ってきた親族達です。実家でもありますし、助けておかしいなんて事はないですよね。
納得感をこれから探し始めようと思います。そして相手方と話し合う準備をしていこうと思います。
ありがとうございました。
丹下覚元様
回答ありがとうございます。
己の正義ばかりを押し通さないように気をつけます。結婚してからずっと義家族の理想・家族思想・禅思想を押し付けられ、巻き込まれていたので質問時にはここぞとばかりに自論を展開してしまいました。今後の話し合いの際には気をつけようと思います。
まわりに溶け込んで…との部分ですが、もう敷地内同居をしている時点で満足してくれないかなぁ~と思ってしまいます。敷地内同居のおかげで夫は住職たる仕事ができるわけですし。
義家族にも、大切な後継が妻帯し孫もおり皆元気に暮らしている姿を間近で見れるわけですから、そこで更にあれもこれも欲望を(寺)に託つけて強要するのはやめておこう、下手に外野が口出すと一家離散するかもと気づいてほしいものです。。水と油になる前に乳水和合であれますように。
ありがとうございました。