正直、どんな答えを求めてここに書き込んでいるのかわからないのですが、失礼いたします。
昨年、娘を死産しました。
出産予定日の3日前、胎動がないことに気がつき病院へ行ったところ、心臓が動いていませんでした。
その数日前から、急に胎動が少なくなったことに気がついていたのに、日々の忙しさや、こんなものかという怠慢で病院にかかることなく、助けてあげられませんでした。
きっと娘は、お腹の中で苦しみ、少しずつ力を失っていったのだと思います。唯一救ってあげられた母親の私が殺したんです。
「ありがとう」と言われた方が娘も報われると思うのですが、ただだだ申し訳ない気持ちで「ごめんなさい」を繰り返しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おつらい事と存じます。
お子様の安らかなることを願います。
うちのお寺はわらべ供養を務めている寺ですので、
年々、このような悲しみに向かい合うことがあります。
正直、つらいです。かなしいです。
でも、それでも、わたしはわたしに出来る事を
しなければ、この亡くなった子たちに、いつか会うときに
申し訳ないという思いがいつも湧き上がります。
わたしはそのときに、手紙を書きます。
亡くなった子たちへの、おしょうさんからの手紙です。
恐れながら、あなたのお子様にも、手紙をこの場を借りて
記したいと思います。
こんにちは。
あなたはいま、ほとけさまのせかいで、おじぞうさまといっしょに
あゆまれていることとおもいます。
おかあさんのおなかのなかで一年に満たない
ひととしてのいのちを受けられたあなたですが、
その間、おかあさん、おとうさん、おじいちゃん、おばあちゃん、
きょうだいごかぞくみんな、あなたから限りない幸せを頂きました。
尊い、いのちの教えを頂きました。
あなたがのこしてくれたものは、とうといぬくもりでした。
ありがたい、ありがたい、いのちでした。
これからは、お地蔵様を先生として、沢山のことを教えて頂いて下さい。
その教えを、今度は、わたしたちに教えて下さい。
おひさまや、おつきさまや、あさのひかりや、よるのほし、
庭に咲いたおはなをみて、ああきれいだな、うつくしいなとおもうとき、
あなたからの教えだとおもって、大切にします。
いつか、その教えのもと、あなたとお会い出来る日
が来ることを、和尚さんも待ちますね。
あなたにさちあれ、さちあれ。合掌。
我が子にありがたいお言葉を下さり、感謝します。亡くなった娘に恥じぬよう、家族を大切に自分を大切に生きていきます。