親しい親戚が亡くなりました。回答受付中
いつも有難うございます。
色々な困難がある中
一番、信頼していた親せきが
亡くなりました。
亡くなった数日後から
苦しく しんどくなりました。
何故こういう風に 困難というか
試練が重なるのでしょうか?
生老病死という事から逃れられないとは 理解しているのですが
さすがにまいってます。
最低限のすべき事は、こなしています。お聞きしたいのは、心の持ち様です。よく前向きに…とありますが
色々な問題を抱えている時でも
から元気と言うか 前向きになった方がいいのか
しばらくグッタリ悲しみに浸り
ネガティブシンキングになった方がいいのか 仏教の教えでは
こういう時 どう振舞えば良いのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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支えられ、少しずつ立てるようになっていく。それの繰り返し
それはお辛いですよね… 気持ちが引っ張られやすいと、それだけしんどくなるものです。プラスにもマイナスにも、引っ張られると振り幅の分だけ、心を使うのですもの。クタクタになってしまいますよね。
特に身近な人や身の回りで起きることほど、自分の生活に影響してきますよね。
私ね、今日お通夜だったのですよね。訃報があった数日前から、その方の顔や声、思い出がよみがえってきて、その人との別れやご家族のお辛そうな様子に、私に何が出来るのかなと考えながら、この世の無常や命の在り方を想い、死は必然なのだと亡き方から教えられ、苦悩ある世に仏様が届いてくださっていることを、改めて感じながら、どんな時も頼りは やはり仏様との縁が支えてくださっていることを大切にお念仏を唱えつつ。
読経中、後ろから聞こえてくる喋り声に、とても悲しく残念な気持ちになりました。お付き合いがあるから参拝なさっているはずなのに、ご遺族を前にしても、他の人にとっては「死」は他人事なのだなと。その立場にならないと、気づきもしないのでしょうね…。
いくら気をつけて生きていても、感謝して生きてきても、どうにもならないことは起きていく。辛いと もがくばかりの私を、仏様は支えようと はたらいてくださる。苦悩の中で生きていかねばならない人生を、仏様は見捨てず、この私と一緒に生きてくださいます。
身近な人、大切な人の死は、寂しくて悲しくて、人生に何度経験しなければならないことか。私もお看取りをするたびに、立っていられなくなります。引き篭もって、笑顔が出なくなります。気持ちが、前を向かせてくれない。だから、仏様がご一緒なんだと確かめたくて、実感したくて、手を合わせます。お念仏が口から出ます。
私は、自分の気持ちのままに過ごし、仏様を確かめたくなります。大丈夫、救われる安心があるって。支えられ、少しずつ立てるようになっていく。それの繰り返しです。そうしてこの人生、いつでも仏様と一緒でした。これからも。
あなたも、頼りをもって。拠り所が、あなたの安心となっていきますように。