死んだことを受け入れるとは回答受付中
先日、母が病期の為に亡くなりました。
入院したときから覚悟はしており、面会に行く度に手を握ったりこれまでの感謝や母に対する思いを伝えたりはできる限りしていたのですが、やはり辛く悲しいことには変わりありませんでした。
よく親や身近な人の死を受け入れられないという話を聞くことがあります。
自分が、母の死を受け入れられているのかそれともまだ受け入れられていないのか自分ではよくわからず、他の方から見てどう思うかを聞きたくなりました。
先程も書いた通り、覚悟はしており亡くなった瞬間も「この日が来たんだな。お母さんお疲れ様」と最初に考えましたし。その後、通夜や告別式等があり度々悲しみの波が押し寄せてきて涙が溢れることもありました。
しかし、「もう一度会いたいと全く思わない」と言えば嘘になりますが、そこまで強く会いたいとは思わず、私が生きている限りもう会えないことは理解し、母にはあの世でゆっくりしながら、残った家族のことを見守っていてね。私はこの先もちゃんと生きていくからね、と素直に思っています。
これは母の死を受け入れられているのでしょうか? 難しい質問になったかもしれませんが、回答いただけると幸いです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
受け入れるのはなかなか難しいです
拝読させて頂きました。
お母様がお亡くなりになられてあなたは深い悲しみに見舞われているのですね。お母様の死をなかなか受け入れることができないのですね。詳細なあなたのことやお母様のことはわからないですけれど、あなたのその辛いお気持ちはとても伝わってきます。あなたのその辛いお気持ち心よりお察しします。
あなたがおっしゃる通り大切な人の死を受け入れることはなかなかできません、亡くなっているとわかっていても死を受け入れられないのが多くの人の見解です。ですからあなたがそう思うのも当然だと思います。
時間もかかるかもしれませんし、割り切れるものでもありません、それでも気持ちを引きずってしまうものだと思います。
お母様が心から安らかになります様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
あなたもどうかお母様が心から安らかになります様に心を込めてお祈りなさって下さい。至心合掌
お母様は必ず仏様や神様がお導き下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が優しくお母様をお迎えなさって下さいます。お母様は仏様や神様やご先祖様のもとで心から安心し一切の迷いや苦しみから救われ清らかにご成仏なさいます。そしてこれからもあなたや親しい方々を穏やかに優しくお見守りなさっていて下さいます。
あなたの悲しみは消えないでしょう、どうかあなたの思いを心からお母様にお伝えなさって下さいね。お母様はあなたの思い全てを優しく受け止めて下さり、あなたに寄り添い慰めて下さいます。
あなたとお母様とのご縁はこれからもずっと永遠に続くのです。
いつの日かあなたや皆さんが天寿全うなさる時がきます。その時には仏様や神様がお導き下さり、お母様がご先祖様と一緒にお迎えなさって下さるでしょう。そして再会を喜び合い分かち合うことでしょう。
あなたがこれからもお母様とのご縁を心から大切になさり心からご供養なさり、お母様に優しく見守ら皆さんと助け合い健やかに生き抜いていかれます様に切にお母様に祈っています。
そしてあなたや皆さんが天寿全うなさる時に必ず仏様や神様が導いて下さり、お母様やご先祖様が優しく迎えて下さり再会なさいます様に心より仏様や神様やご先祖様やお母様にお祈させて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
大切な人との死の縁。「受け入れる」を、どのように解釈するのか
お母さまのご往生
お寂しくなりますね。
最期まで、お母さまとの時間を大切に過ごされたのですね。
どのように人生を終えていくのか。そう考えますと、あなたのお母さまは、愛する子がそばにいて、感謝や愛を伝えてくれ、穏やかな気持ちになられたでしょうし、とても心強かったことと思います。生きてきてよかった。この子を産んでよかった。最期を安心の中で、お迎えなさったのではないでしょうか。
大切な人との死の縁。どのように見ていくのか。
それは、人それぞれなのだと思います。関係性や状況にもよります。また、「受け入れる」ということを、どのように解釈するのか。看取る。死を理解する。死の理由を納得する。自分の感情と向き合う。死の悲しみを乗り越える など、「受け入れる」ことを、どの状態・どの時点を指すのかも、みんな違うものなのです。
私は、大阪で遺族会を開催していますが、皆さん いろんな想いをお話くださいます。ご遺族の気持ちは揺れるものです。今は大丈夫だと思えても、思い出に触れたり、ご命日や誕生日、記念日などには気持ちが押し戻されたり、行きつ戻りつするものでもあります。ご本人が「受け入れています」と人に話せるようになれば、それが「受け入れた」気持ちの有り様なのでしょうね。
受け入れることを目指さなくてもいいと思いますよ。亡き人を偲び、想いを口にしたり、気持ちを揺らしたり、涙や悲しみも辛いことですが、決していけないことではなく、大切な感情なのです。
あなたが、私たちに、「受け入れられていますか?」と聞かれている心の奥には、お母さまに対して、(私たちは大丈夫だからね。お母さん 安心していてね)という、お母さまへのメッセージがあるように感じましたよ。あなたのお母さまへの深い想い、きっと届いていますよ。