死んだことを受け入れるとは
先日、母が病期の為に亡くなりました。
入院したときから覚悟はしており、面会に行く度に手を握ったりこれまでの感謝や母に対する思いを伝えたりはできる限りしていたのですが、やはり辛く悲しいことには変わりありませんでした。
よく親や身近な人の死を受け入れられないという話を聞くことがあります。
自分が、母の死を受け入れられているのかそれともまだ受け入れられていないのか自分ではよくわからず、他の方から見てどう思うかを聞きたくなりました。
先程も書いた通り、覚悟はしており亡くなった瞬間も「この日が来たんだな。お母さんお疲れ様」と最初に考えましたし。その後、通夜や告別式等があり度々悲しみの波が押し寄せてきて涙が溢れることもありました。
しかし、「もう一度会いたいと全く思わない」と言えば嘘になりますが、そこまで強く会いたいとは思わず、私が生きている限りもう会えないことは理解し、母にはあの世でゆっくりしながら、残った家族のことを見守っていてね。私はこの先もちゃんと生きていくからね、と素直に思っています。
これは母の死を受け入れられているのでしょうか? 難しい質問になったかもしれませんが、回答いただけると幸いです。
お坊さんからの回答 5件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な人との死の縁。「受け入れる」を、どのように解釈するのか
お母さまのご往生
お寂しくなりますね。
最期まで、お母さまとの時間を大切に過ごされたのですね。
どのように人生を終えていくのか。そう考えますと、あなたのお母さまは、愛する子がそばにいて、感謝や愛を伝えてくれ、穏やかな気持ちになられたでしょうし、とても心強かったことと思います。生きてきてよかった。この子を産んでよかった。最期を安心の中で、お迎えなさったのではないでしょうか。
大切な人との死の縁。どのように見ていくのか。
それは、人それぞれなのだと思います。関係性や状況にもよります。また、「受け入れる」ということを、どのように解釈するのか。看取る。死を理解する。死の理由を納得する。自分の感情と向き合う。死の悲しみを乗り越える など、「受け入れる」ことを、どの状態・どの時点を指すのかも、みんな違うものなのです。
私は、大阪で遺族会を開催していますが、皆さん いろんな想いをお話くださいます。ご遺族の気持ちは揺れるものです。今は大丈夫だと思えても、思い出に触れたり、ご命日や誕生日、記念日などには気持ちが押し戻されたり、行きつ戻りつするものでもあります。ご本人が「受け入れています」と人に話せるようになれば、それが「受け入れた」気持ちの有り様なのでしょうね。
受け入れることを目指さなくてもいいと思いますよ。亡き人を偲び、想いを口にしたり、気持ちを揺らしたり、涙や悲しみも辛いことですが、決していけないことではなく、大切な感情なのです。
あなたが、私たちに、「受け入れられていますか?」と聞かれている心の奥には、お母さまに対して、(私たちは大丈夫だからね。お母さん 安心していてね)という、お母さまへのメッセージがあるように感じましたよ。あなたのお母さまへの深い想い、きっと届いていますよ。
受け入れるのはなかなか難しいです
拝読させて頂きました。
お母様がお亡くなりになられてあなたは深い悲しみに見舞われているのですね。お母様の死をなかなか受け入れることができないのですね。詳細なあなたのことやお母様のことはわからないですけれど、あなたのその辛いお気持ちはとても伝わってきます。あなたのその辛いお気持ち心よりお察しします。
あなたがおっしゃる通り大切な人の死を受け入れることはなかなかできません、亡くなっているとわかっていても死を受け入れられないのが多くの人の見解です。ですからあなたがそう思うのも当然だと思います。
時間もかかるかもしれませんし、割り切れるものでもありません、それでも気持ちを引きずってしまうものだと思います。
お母様が心から安らかになります様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
あなたもどうかお母様が心から安らかになります様に心を込めてお祈りなさって下さい。至心合掌
お母様は必ず仏様や神様がお導き下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が優しくお母様をお迎えなさって下さいます。お母様は仏様や神様やご先祖様のもとで心から安心し一切の迷いや苦しみから救われ清らかにご成仏なさいます。そしてこれからもあなたや親しい方々を穏やかに優しくお見守りなさっていて下さいます。
あなたの悲しみは消えないでしょう、どうかあなたの思いを心からお母様にお伝えなさって下さいね。お母様はあなたの思い全てを優しく受け止めて下さり、あなたに寄り添い慰めて下さいます。
あなたとお母様とのご縁はこれからもずっと永遠に続くのです。
いつの日かあなたや皆さんが天寿全うなさる時がきます。その時には仏様や神様がお導き下さり、お母様がご先祖様と一緒にお迎えなさって下さるでしょう。そして再会を喜び合い分かち合うことでしょう。
あなたがこれからもお母様とのご縁を心から大切になさり心からご供養なさり、お母様に優しく見守ら皆さんと助け合い健やかに生き抜いていかれます様に切にお母様に祈っています。
そしてあなたや皆さんが天寿全うなさる時に必ず仏様や神様が導いて下さり、お母様やご先祖様が優しく迎えて下さり再会なさいます様に心より仏様や神様やご先祖様やお母様にお祈させて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
母の死を受け入れられているかどうか
ご相談を読ませていただきました。お母様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。覚悟をしていたとはいえ、悲しみや寂しさの波が訪れるのは自然なことであり、どれだけ準備をしていても人の死は心を大きく揺さぶります。
・「受け入れる」とは何か
仏教では「受け入れる」とは、悲しみがなくなることではありません。涙が出る、もう一度会いたいと思う、そうした感情は人として極めて自然なものです。そのうえで、 「もう会えない現実を知りつつ、これからの日々を生きる決意をもつ」 ことが「受容」に近い状態だと言えます。
あなたは、お母様に「ありがとう」と伝え、「私はこれからも生きていく」と心の中で言えています。これは、悲しみの中にも現実を受けとめている証拠であり、とても健やかな姿だと思います。
・悲しみは消えなくてよい
受け入れる=悲しみを消すこと、ではありません。
むしろ悲しみは「お母様を深く愛していた証」であり、完全に消す必要はありません。波のように寄せては返す気持ちの中で、「悲しんでいる私」をそのまま認めることが大切です。
・ご自身の歩み
「母にはあの世でゆっくりしていてほしい」「私はこの先も生きていく」と言えるあなたは、すでにお母様の死を大切に抱きながら歩み出そうとしています。それは充分に「受け入れている」と言える状態だと思います。
ただし、これからもふとした時に涙が出たり、会いたいと思ったりするのは自然なことです。それを「まだ受け入れられていない」と責めず、むしろ「母を想える時間」として味わっていただけたらと思います。
・結びに
お母様への感謝を伝えられたこと、その気持ちを今も胸に抱いていることこそ、何よりの供養です。受け入れとは「悲しみがない状態」ではなく、「悲しみと共に生きられる心のしなやかさ」を指すのだと、仏教は教えてくれます。
合掌
どうか、そのままのあなたの心を大切に歩んでください。
六角ナット 様
まずはお母様のこと、ご愁傷さまでございます。お母様のご冥福をお祈り申し上げます。合掌礼拝。
人は愛する人の死にさいし、哀しみを中心に様々な感情を行ったりきたします。
混乱・怒り・抑うつ・諦め、などです。
悲しみの感情の顕れ方も10人10様です。感情の揺れや大きさも期間も様々ですので、哀しみを受け入れるのも10人10様です。
その中でも言えることは、
哀しみを抱えながらも自分らしく生きているな!という感覚があれば、大丈夫かなと思います。
もう少し具体的にお伝えいたしますと、
お亡くなりになった方との新たな関係性を築き、(ご先祖様として守っていただく存在と、こちらは供養をする立場というような関係性)、自分の新たなアイデンティティを確認し、お亡くなりになられた方の思い出も語りながらも、哀しみに執着することなく、しっかりと生きている状態と言えるでしょう。
と私は思います。参考にしてください。
もし悲しみが続いて生き辛いようでしたら、どうぞ遠慮なくご相談ください。グリーフケアを受け入れる助けとなるでしょう。
一礼。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。哀しみをわすれなくていいので、思い出を充分に語りながら、自分らしく生きてくださいね。辛い時はまたご相談ください。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
あなたは充分にご立派です(涅槃図の話)
まずはお母様のご冥福をお祈り申し上げます。
さて、あなたは充分に受け入れてられていると思います。
お釈迦様がお亡くなりになった(入滅された)場面を描いた「涅槃図(ねはんず)」という絵があります。
お釈迦様は日頃から弟子たちに諸行無常(誰でも死ぬのが普通)を説き、ご自身の死期について弟子に告知したときも、悲しむ必要はないと諭されました。
しかし、涅槃図の中では、弟子たち(僧侶)の中にも悲しみ嘆いている人々が描かれています。
お釈迦様の弟子の中にもそのように悟っていない人々がいたのですから、現代の私達、しかも出家者でもないあなたは、四十九日くらいまでは泣き暮れて良いと思います。
そう考えれば、すでにある程度冷静さを取り戻しておられるあなたは、充分にご立派だと思います。
ただ、気を張っていても、無意識に体力を消耗している場合もあるでしょうから、無理はなさらないでくださいね。
質問者からのお礼
まさかこんなに沢山の回答をいただけるとは思ってもおらず、皆様の回答を読み涙が溢れ、また少し心が前に向いた気がします。
母を忘れることなんて一生できないと思いますし、もしかしたらいつまでもこの寂しさは残るのかもしれません。ですが、私が早く母の下に行くことだけは絶対に母も望んでいないと確信していますので、この寂しさも大切にしてできるだけ長く生きていこうと思います。
本当にありがとうございました。