母の死を乗り越えられる自信がありません回答受付中
最愛の母を1週間前に突然の病気で亡くしました。
どうしても現実に思えなくて毎日母の姿を探してしまいます。
昔から母には心配ばかりかけ、結婚してからも甘えて愚痴ばかりこぼしていました。
その度に母は、それは困ったねー。と優しく笑いながら私の気持ちに寄り添ってくれ頭を撫でてくれました。
母が生きていてくれたから今までやってこれたと言ってもいいくらい母が頼りで大好きでした。
子供達の前では泣かないようにしていますが、1人になると泣いてばかりいます。
母が亡くなって日が浅いので、まだ乗り越えられなくて当然だと言う人もいますが、何年経ったとしても乗り越えられる自信が私には全くありません。
実家で一人暮らしになってしまった父も同じように母の死を受け入れられないでいます。
母が倒れてから亡くなるまでの半月程の間に1日だけ母としっかり会話をすることができた日があります。
その時の会話の中で忘れられないものがあるのですが、それは母が眠っている間、閻魔大王が出てきてお前は死んだら地獄に行けと言われ、怖い怖いって言っていたと言うのです。
その時は、もう大丈夫だから安心してね。と伝えたのですが、本当に出てきたんだ。と言う母の顔が忘れられません。
私の宗派では、亡くなるとすぐに極楽浄土に導いていただけると聞きました。
その教えの通り、母は今極楽浄土で安らかでなんの苦しみもないと信じていいのでしょうか?
先に逝った祖父母が迎えにきてくれて、安心して導かれたんでしょうか?
亡くなる1週間前くらいからは毎日病院に通い、身体をさすり、ありがとうと大好きを言い続けた私の声は母に届いていたのでしょうか?
もちろん今も母には、ありがとうと大好きを伝えています。
どこかで聞きながら見守ってくれてますか?
私が天寿を全うしたらまた母に会えますか?
でも本当は今すぐにでも母に会って声が聞きたいです。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏。
閻魔さんが出てきたのは単なる夢ですから気にしないでくださいね。
私たちは時々悪い夢を見るものです。
今はきっと極楽浄土で安らかに過ごされていると思いますよ。
そしてあなた達のことを見守っていると思いますよ。
今は受け入れられなくてもいいのです。
乗り越えられなくてもいいのです。
ただ、今はその悲しみを大切にしてくださいね。
それだけ愛していたという事ですからね。
いつか極楽浄土で再会できますように。
母との別れと、なお続くつながり
大切なお母さまを突然のご病気で亡くされ、深い悲しみと現実感のなさに包まれているお気持ち、胸が締めつけられるように伝わってきます。日々「母の姿を探してしまう」というのは、心が自然にお母さまを求め続けている証であり、それだけ大きな存在だったということでもあります。
・極楽浄土について
あなたの宗派で説かれるように、亡くなられた方は仏の慈悲に抱かれて極楽浄土へと導かれる、と信じてよいのです。臨終の間際に「地獄に行け」といった幻覚や恐怖を語られる方は少なくありません。それは病による心身の苦しみが見せる幻影であり、真実ではありません。大切なのは、その後あなたが「安心してね」と伝え、愛を込めて支え続けたことです。その声が母上に安らぎを与え、仏の光へとつながる道となったと考えられます。
・あなたの声は届いていたか
病床で身体をさすり、「ありがとう、大好き」と語りかけ続けた言葉は、たとえ意識がはっきりしていない時でも、必ず届いています。人は最期の瞬間まで、愛情や温もりを心で受け取る力を持っています。あなたの想いは母上の心を包み、穏やかさを支えていたに違いありません。
・今も母は見守っているか
「ありがとう」「大好き」と今も伝え続けるお気持ちは、母上に届いています。仏教の教えでは、亡くなった方は私たちの記憶や行いを通じて、常にそばにいて見守ってくれていると説かれます。お母さまがあなたを撫で、寄り添ってくれたように、今は目には見えなくても、あなたを支えているのです。
・また会えるのか
「天寿を全うしたら、母に会えますか」という問い。仏教的な表現で言えば、私たちは命尽きるとともに仏のもとに還り、縁ある人々と再びめぐり逢うと考えられています。その約束を信じて、いまは「また会うその日まで」を大切に生きることが、母上への供養となります。
・結びに
「今すぐにでも会いたい」という切なる願いは自然な感情です。しかしその思いを「母を想い続ける力」に変えて、日々の暮らしを重ねていってください。お母さまは、あなたが涙を越えて歩んでいく姿を、極楽の光の中からきっと微笑みながら見守っています。
合掌