1年思っていた人に遊ばれてた
今日、最近いい仲の人と仕事が終わったら会う約束をしていた。
仕事が終わって彼から電話があり、
「実は彼女がいる」
と言われ、ビックリして
「そうなんだ、わかったよ、短い間だったけどありがとう。」
しか言えず、沈黙のあと彼女が電話を代わり
「あなた以外にもたくさん関係のある女がいるから一人ずつ関係を絶ってるの」
といわれ、「わかりました」と電話をきり、毎日ウキウキだったのに、突然終わってしまいました。
彼女がいないとも言っていたし、付き合ってはいなかったけど最近お泊まりもしました。
てっきりこれから付き合うんだと思っていたので、ただただ悲しい、寂しい。
その前の彼の時は突然連絡がなくなり2年以上付き合っていたのに、そんな終わり方でした。
その時私が子宮頚がんになって子供がつくりずらくなったせいなのか、
理由はわかりませんでした。
周りが結婚出産して幸せそうにしているなか、
自分は癌になり、
恋人に捨てられ、
今回また別な病気になり、
好きな人に遊ばれ、
もう33歳になって年齢だけがふえていく。
隣の芝は青く見えるみたいですが、
私の庭には芝があるんでしょうか
死にたい
とは思いますが、残された家族のことを思うと勿論死ねません。
どうしたら心穏やかに生きることが出来るのでしょうか。
アドバイス頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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歌う尼さん、やなせななさん
どう言葉をかけてよいか、戸惑います。お辛さが文面から伝わってきます。
私と同じ浄土真宗本願寺派の寺院住職でシンガーソングライターのやなせななさんは、がんにより子宮を摘出されました。その悲しみをコンサートの折、歌の合間によくお話になります。すてきな女性ですが独身です。
いまは「歌う尼さん」という立場でお寺やライブハウスで広く活躍なさっていますが、何年もの下積みの期間を経たたいへんな苦労人です。売れない時代を支えてくれて唯一といっていいほど少ない活動の場が後に被災地となった東北地方であったそうで、被災直後はずいぶんショックを受けながら、お世話になった東北の方々へと歌と救援物資を運ぶために被災地に足しげく通われました。
そんなやなせさんだからこそ、歌にも歌の合間のトーク(法話)にも人に訴えかけるものがあり、何度聞いても引き込まれてしまいます。人間としての深い味わいが伝わってきます。
人間って、大きな痛みを感じるたびに深みを加えていくものではないかと彼女の歌を聞くたびに思います。辛い体験はしたくないけれども無駄にはならないと思います。人生に意味がない出来事はないと、みな言います。あんまりみなが言うので、またか、と思いますが、やっぱり言い古された言葉であるからこそ、そこに真理があるのだと思います。辛さの只中ではなかなかそんなふうには思えないかもしれませんが。
やなせさんは、Facebookをなさっているので、真面目にメッセージを書かれたらご返事くださると思います。柳瀬奈々か、やなせななで検索し連絡を取って見られたら、よい助言をくださるかもしれまん。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
人生に味が出てると言われればそうなのかもと思いました。
自分は料理人ですが、平凡な味付けではなく個性的な味付けが好きなので自分の人生もそうなんだなと思いました。
今は辛いですがこれが人生のスパイス何ですかね?