犯罪を煽る人達について
煽り運転や、年寄りの暴走運転と令和になってからも色々と理不尽な出来事が起きています。勿論加害者に非があり弁明の余地もないのですが、全く関係ない他人が匿名性の陰に隠れてめちゃくちゃに加害者を叩く行為はどうなのかと思ってしまいます。
大きな事件に限らず、芸能人が子供に作ったご飯の盛り付け方をSNS上で叩いたり、ネットの質問等を出来るサイトにて相談をしている人をこてんぱんに叩いたりしている人達を見ると、人間としてもう来るところまで来てししまってるなあというか、不平不満やらいろんな負の感情が渦巻いて飽和状態という感じがします。
そう感じるのは少数派ですか?あんなに沢山の人が叩いているとなると、もうその辺を歩いてる人3人に1人くらいはそういう行為を裏でしていると思ってしまいます。仏教的には、と言いますか僧侶の方々はどう考えますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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五濁の世、無仏の時
今は【末法】の世、【五濁】の時代です。
「五濁」とは、この末世において人間が直面しなければならない【劫濁】【見濁】【煩悩濁】【衆生濁】【命濁】という五種類の濁り、汚れた状態の事です。
【劫濁】疫病や飢饉、動乱や戦争の続発など、時代そのものが汚れる状態。
【見濁】邪悪で汚れた考え方や思想が常識となってはびこる状態。
【煩悩濁】欲望や憎悪など、煩悩によって起こされる悪徳が横行する状態。
【衆生濁】心身ともに、人びとの資質が衰えた状態。
【命濁】自他の生命が軽んじられる状態。
あなたのおっしゃるとおり、この世の中はウンザリすることばかり。もう手のほどこしようがない。こんな時代に生きる我々に悟りを開かせるのは、通常の指導方法ではお釈迦様ですら至難の業なんだそうだ。こいつぁ、いよいよ文字通り「世も末だ…」ですね。
ということで、仏道と聞いて、いわゆる「みんなが想像するような修行」ではない、別の方法で人間を回復し、この難局を乗り切る方法を浄土真宗の親鸞は提唱している。