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人の死を望んでしまいます

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これは普段人に言えないことですし、こうして公にするとそれはそれで叩かれると思ってかなり悩んだのですが、正直に書くことにします。

私は自分が恵まれていないとか社会的責任を果たしていないとか、そういう負い目を感じています。どうにかしなければと思っているのですが出来ません(努力はしているのですが、やはり人から見れば甘えなのでしょう)。

それが高じて、他人と話をしていると「お前なんか死んでしまえ」とつい思ってしまいます。もちろん本気で死を願うわけではありません。相手は優しい方です。そういう方に対して口癖のように「死ね」と考えてしまうのです。

それを言葉に出すと本当に相手が死んでしまうのではないかと思って、口にはしません。じっと黙っています。でも、つい癖で「死ね」と考えてしまうのをなんとかしたいのです。どうしたら良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心で想う分には自分だけ、口に出すと災いとなる

「死ね」といった罵倒が気軽に使われ過ぎている昨今、心でいくら思ってようが口に出されていないのであれば結構なことかと思います。

私も僧侶になる前はそういった言葉を多用していた頃があります、口に出していたこともあるので貴方よりタチが悪いです
では僧侶になった今絶対に無いかと言われれば正直申しますとそのようなことはありません

口に出すことはありませんが心の中で「何てこと言いやがるんだ糞野郎」と思いながら心で吐いたことは正直、あります
ある種それらというものは自分自身の中の心のストレスを和らげる薬といいましょうか、それぞれの人が持つ常備薬のようなものでもあるのかもしれません

私もそうですがこの身、この心は汚れきっています、決して綺麗とは言えません
心の中で人に悪態をつくこともあるでしょう
心の中で吐く分にはそれを聞くのも処理するのも自分だけです、自分がもやもやするだけです、誰にも迷惑はかけません

ただ自分自身がそれを苦しいと思うならば少し変えてみましょう
「死ね」と思わずにこう思いましょう

「犬のフン踏め、踏んでこけろ」
「小指ぶつけろ、爪割れろ」
「腹下せ、満員電車で腹下せ」

これくらいにしときましょう

貴方が今までおそらく積み重ねてきた性格というのはなかなか変えられません、急に何も思わなくなることは難しいと思うのでまずは優しい感じの悪態に変えて徐々に「こんなこと思っちゃ駄目だな」と自制できるようになっていけると一番いいかもしれませんね

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「先生、痛ぇよぉ……」

昔観た映画の話です。
酔っぱらいがケンカの末、ガラスを叩き割り大怪我します。周りは早く止血しなければと焦るのですが、本人は怒り狂って大暴れ。「バッキャロー、てめえら、ぶっ殺すぞ!」手が付けられません。
そこに肝っ玉の町医者が現れて、有無を言わさず取り押さえます。そこで初めて彼はボロボロ涙を流し、助けを請います。「先生、痛ぇよぉ……」

「死ね」。その強力な叫びに隠された、本当の声に耳を傾けてください。
不安だ?寂しい?羨ましい?怖い?逃げ出したい?そんな言葉では当てはまらないくらい、もっともっと複雑な心が波立つのだと思います。その波紋に耐えきれないとき、人は他者への非難の言葉で自分を保とうとすることがあります。

「死ね」と考えているとき、本当は、心はどんな悲鳴をあげていますか。どんな助けを求めていますか。

微細すぎて感じるのが難しい。正面から向き合うだけの勇気がない。認めたくない。原因は色々あると思います。だから、正体不明の苛立ちや不快感を「死ね」という言葉でしか発散できないのかもしれません。けれども素のままの気持ちをすくい取ってあげなければ、心はいつまでも救われません。

「不安なんだね。知ってるよ。苦しいね。こういうとき、あなたはいつも悲しくなるよね」。
優しく耳を傾けてあげてください。うなずいてあげてください。「痛いよ」と泣いている心に気付き、抱きしめてあげられるのは自分だけなのですから。

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青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

質問者からのお礼

おはようございます。お礼が遅れてしまったことをお詫び致します。なんと書けば良いのか分からなかったのです。この悩みを打ち明けた方がリアルで居ます。その方が最近亡くなられました。寿命が来たのかなとも思うのですが、私の悩みがその方を殺してしまったような気がしてなりません。そういうことがあったせいか、以前ほど「死ね」とは思わなくなりました。「死ね」と呪うのは私がリアルで恵まれているわけではないことが原因です。劣等感を抱いているのです。普通に生きられないこと……年収が低く妻も居らずこれからの行方も分からないという有り様なので、それと向こう正面から向き合わなければならないのかな、と思いました。最近(他の悩みでも書きましたが)町田康さんの『人生パンク道場』という本を読みました。人間は「変わる」ことが出来る生き物であること、「変わる」ことによってしか生きられないことを思い知らされたように思います。遅れて結局この程度のお礼か、と思われたら申し訳ありません。私は私なりにリアルの問題と格闘して見るつもりで居ます。非常に難しいことなのだけれど……。

「死について」問答一覧

死について考えてしまいます。

こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。

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人生にステージはあるのか?

ガン告知から3年。先日、転移が悪化し完治はほぼ見込めず、病巣によって骨折もし、最近は死についてよく考えます。しかしピンときていないのか「死が怖い 死にたくない」というより「死後の世界はあるのか どう人生を閉まっていこうか」といったことが気になり、エンディングノートを書いたり、断捨離したりしてます。 先日、友人とコロナについてや、痛ましいと報道される有名人の人生の集結のニュースについての話になり、私も死についてや「一人で旅立っていくときのことを考える」ということを話すと「考えすぎは良くないよ」と言われました(励ましてくれたのかなと思います) 「私にとっては、この気持ちは日常で、あまり悲観的ではなく考えすぎっていう感じでもないんだよ」と伝えると、はいはい、という感じで流されました。ある友人は「それでも不遇な死はあると思う」と述べました。 理解されなかった気がして、些細な出来事ですがショックでした。 私は、死は死でしかなく、その死は不遇であるかどうか他人が言うものではないと思うのです。また、何かしてあげられればよかった、と必ず思うものですが、簡単に言うことでもないとおもうのです。私も他界した母に何もあげられませんでしたが、してあげられなかったと思いすぎるのも、亡くなった方に対して失礼なんじゃないかと。なら生きているうちにできたではずですし、まず亡くなった人がそれを望んでいたかもわからないし、他人が人にできることは限界があると思うからです。 病気になってから、どうも周囲とのズレを感じ、30代であんまりこんなことを考えている人も今までの交友関係だと少なくて、孤独を感じます。 そして「人生のステージが違うのだ」と思うようになってきました。 それは「私のほうが死に近いステージだからだ、きっと彼らもそうなったときにわかるだろう」というニュアンスもあります。 ふと「それはおごりではないか?」と思い質問させていただきました。 確かに病気や死は近づいた人じゃないとわからないものがあると思います。私が感じた寂しさや孤独を「人生のステージが違うから」と帰着させるのはおごりでしょうか?偉そうな立場からの勝手な帰着なのでしょうか? そして、死に不遇はあるのでしょうか? 人が人の死を不遇というのは失礼なことではないのでしょうか? 私が死について考えるのは「考えすぎ」なのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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死について考えすぎてしまいます

現在高校3年生です 受験を一通り終え人生の節目に立ったことと、時間がとても余っていて暇なこともあってか、ここ数日死について考えてしまいます。受験とコロナという状況も相まって自室という閉塞的な場所に長期間いて家族以外とあまり会えず精神状態が不安定なのかもしれません。 僕は今までとても幸せな生活を送ってきてこれまでの人生に後悔はありません。 だからこそ、いつか来る終わりが怖くて仕方ありません。 死については科学や宗教など色んな立場の人が色んな意見を出し合っていると思います。 今この世に生きている以上結局死後のことは何も分からないことも分かっています。 けれどあれこれ考えてしまいます。 もう大学生ですし結婚願望もあるので親と一緒に過ごせる時間やそして必ず来る親の死、自分の寿命が尽きた時の自我の消滅などを考えると怖くて仕方ありません。 僕としては自分が死んだら、親や兄弟、ペットとまた幸せに暮らしながら、自分の子孫などを見守り、時が来たらその子とも暮らしたりという、あの世での永遠を望んでいます。 これはとても都合のいい考えだと分かっていますが、こうでも考えないとおかしくなってしまいそうです。 もちろん死ぬまでは精一杯生きるつもりですが皆さんの考えを是非お聞かせ頂きたいです。

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亡くなった人の思いはあるのかないのか

今年四月に父が亡くなりました。 両親は私が五歳の頃に離婚をしました。 母に育ててもらいました。感謝しております。 私は今まで父の事をないものとして生きてきました。 帰ってこない、蒸発した父と教えられてきたので その通りだと思って生きてきました。しかし、本当は違いました。 父は母と離婚したのち、数年後に再婚しておりました。 そのことを親戚に聞きました。子供まで二人作っていたことも 知りました。正直ショックでした。そんな人だと思いませんでした。 それも父が死んでから親戚に電話口で聞かされました。 私は今まで二十年以上、何も知らずにのうのうと生きてきたのです。 馬鹿馬鹿しくなりました。そして情けなくもなりました。 自分に対しても、父に対してもです。 私は父のことが好きでした。今も好きです。 本当に好きでした。それなのに父は裏切った。 今も苦しいのです。私にはお父さんがいなかったのに その子たちには二十年以上、お父さんがいた。 一緒に生きてきた。一緒に生活をしてきた。 泣いたり、笑ったり、怒ったり、そんなこともあったのでしょう。 そんなふうに普通の家族としてその二人の子供はお父さんと一緒に いれたのです。しかし、私にはそれがなかった。 父は私のことを無いものとして生きてきました。 私のことを完全に無視しました。 しかし、私もまた同じでした。 私も父の事を無いものとして生きてきました。 そうしなければ、生きていけなかったからです。 封印して父の記憶消しました。父と私は似ています。 きっと父もそうだったのではないかと思います。 本当はつらかった。今も苦しいのです。 死んでから父のことが頭から離れません。 今まで生きている間は父のこと考えもしませんでした。 忘れているのではなかったのですが、封印したのです。 父に会いたいと思ったことも全くありませんでした。 しかし、父が死んでからそのことを聞かされてから 父に会いたくて会いたくて堪りません。 こんなに人を思う、こんなに誰かのことを思うのは、 私の人生の中で初めてです。自分がビックリしています。 毎日毎日父のことばかり考えています。 昔はあんなにどうでもよかったはずの人なのに。 もしかすると父も私のこと見ているのでしょうか。 父も私のこと思ってくれているのでしょうか。 私は何故だかそんな気がしています。

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死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

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