自分にはないものを持っている人が憎い
よく、他人と自分を比べるなと言われるのですが、比べない方法がわかりません。
昔から他人との比較で自分を評価していたせいか、癖になって抜けず、本当に辛いです。
自分とは違う境遇だったり、才能を持っていたり、そういう人達が心の底から本当に羨ましいです。
最近、年下の友達が、自分の行きたかった高校に行ける予定らしくて、それを得意げに話すので、本当に本当に羨ましく思ってしまいます。
自分とは違い優秀な学校に行き、難なく大学に進学するのだろうかと思うと、今の自分のいろんな所が惨めで死にたくなります。私もそこに通いたかった、なんで私は通えない境遇に生まれたんだろうと思います。
勝手に自分の境遇と比較して、他人の方がいい思いをしていると決めつけるのは良くないことですが、そう思ってしまうと止まりません。
子供っぽい事を言っている自覚はあります。とにかく羨ましくて仕方が無いです
そして自分に自信が持てません。自己肯定の仕方が分からないです。とにかく自分の悪い所ばかり見えてしまい、そんな自分が憎らしいです。
年下の友達とは深い付き合いなので縁の切り方も分からず、そのままですが、毎日相手の事を疎ましく思ってしまい、罪悪感に潰されそうです。これで自分が大学におちたりして相手がその高校に受かったら、自分は本当に惨めだろうななどと、勉強をするときにも考えてしまいます。起こってもいないことに不安になります。相手の不幸さえ願ってしまいます、本当に嫌です。もっと幸せに生きたいし考えたい
自分になかった、でも自分が望んでいた未来を持っている人が羨ましいです。無いものを持っているのを見るのが辛いです。でも視界に入ってしまいます。死にたくなる。本当に比較して落ち込むのを辞めたい。
まとまらない文章ですみません。
自分のような人間でも、自分と自分の未来を肯定して、明るく生きる方法は無いでしょうか。
自分も、自分の吐く言葉も、自分の描いたものも、今では全て汚く見えて大嫌いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
真似すれば?
こんにちは。「他人との比較」、これ自体は悪いことじゃありませんよね。問題は「比較だけで終わっちゃう」ことです。「こっちの道は崖で行き止まり」と知っても、「あぶなーい、ぎゃー」とか言うだけでは激突必至です。ブレーキを掛けるなりコースを変えなければ。
あなたは、自分と他人を比べて「あー良いなぁ」と言いながら、自分は保全したいのではないかと感じます。「自分が嫌い、な私を嫌い」とか言いながら、「癖だから」と同じ道を行く。癖とか性格とか行動パターンというのは、あなたの分かっているとおり「過去、それで上手くいった」というだけの、古臭いやり方に過ぎないのです。
なので「今日から新しいあなた」になれそうなステップを書いてみます。
1)自分の行動パターンを認識する。「あ、また同じことやってる」と気づく。
2)相手のどこが羨ましいのか、明確にする。
3)結果ではなく、どのようにして相手がそこに至ったかを知る。
4)真似する。
「あら、お宅の花、綺麗ね」と気付いたら、どんな世話をしてきたのか聞くでしょう。そして同じようにやってみるでしょう。羨んでいるだけでは、あなたの庭に花は咲きませんよね。
あなた自身を知って下さいね
拝読させて頂きました。
確かに優秀な人や環境に恵まれて方をみると羨ましくもなります、そして自分と比較してしまうことも否めません。あなたのお気持ちもよくわかります。
とはいえ人を憎んでみてどうなるでしょう。自分自身をおとしめていくことばかりです、自分で不幸になっていくばかりではないでしょうか。
あなたはあなたであり他の人とは違います。違っていていいんです。そして優秀な人や環境に恵まれて方とは違うあなたなりの良さもありますし、優れたところもあるのです。
そしてあなたなりの興味や関心や得意なことや未来があるのです。
周りの事は周りの事、あなたのことではありません。
周りの人がずっとあなたの周りにいる訳ではありません。時と共に過ぎ去っていきますからね。
あなた自身をゆっくりと見つめ直して下さい、おそらく周りの方にとってもあなたの優れたところを見て知っている方々も沢山いるでしょうからね。
怒りや恨みや憎しみを抱いても始まりません、あなた自身の未来を人生をしっかりと見つめ直して下さい、決して自分を卑下したりおとしめたりしないで下さいね。
あなたがこれからあなた自身を見つめ知っていき、自分の意志や興味や関心や特性を踏まえてこれからの未来をのびのびと健やかに成長なさっていかれ、皆さんとお互いを尊重しながら充実した毎日を生き抜いていかれます様にと切に祈っています。
そしてあなたを心より応援させて頂きますね。