性転換を望む父と周りの目
お久しぶりです。
父が女性になりたいと本格的に格好もスカートなどを履くようになりこの前もミニスカートを履いていて一緒に出かけました。
私も母も特に気にしてはいなかったですし、特に周りから何かあることも無く、みんな普通にそっとしておいてくれましたが、通りかかりの女性(若くはない)が驚いた様子というか、あまり心地よくない目で父の格好を見るのをたまたま認識してしまい、現実を叩き付けられたと同時に、もしこのまま何か戯言を言われて、それに父が反応してしまったらトラブルになるのではないか、と途端に不安になり苦しくなってしまいました。
私は父がどう生きようが知ったことではないし性別や格好なんて好きにすればいいと思ってます。
周りの人が全てを受け入れられるとも思ってません、だからせめてお互い干渉せず過ごせればそれでいいと思っていました。
実際今回の件もちょっと特異な目で見られたというだけで何かアクションがあった訳でもないし父も気にしていない様子でした。
ですが、ああこれが現実で、こういう人もいて、これからそれを乗り越えて行かねばならないんだと、もしトラブルにでもなったらどうしようかと思うと息苦しくて、父と外に出るのが怖くなってしまいました。
私は本人の好きなように生きるべきだと思いますが、周りはそういう人ばかりではないということも知っています。無理に受け入れるのではなくああそういう人ねふーん、と流してくれればと他人に期待してしまった自分が愚かだったことも、考えが浅はかだったことも分かっています。
ですが、どうしても、どうしても怖くなってしまいます。知り合い(友達)にこれを知られること、周りのアクションに本人が気付いてトラブルになること、好奇心や悪戯で話しかけられたりモラルのない行為をされたり干渉されることが怖いです。
やはり慣れるしかないのでしょうか。
堂々と過ごしてやろう、所詮戯言だ、と繰り返し言い聞かせていますが相手からのアクションはどうすることも出来ませんし私自身も周りの視線を意識してしまい息が苦しく、つい人目を避けてしまいがちになり申し訳なく思います。
苦しいです。あの時のえも言われぬ視線が怖くて忘れられません。
今度あったら次こそ耐えられなくなりそうでそんな弱い自分も嫌いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
社会の「常識」は刻々と変わります
私はカナダに何度か行って、普通のご家庭の家にステイさせてもらいました。その際、夫婦別姓ということが私の感覚にあわなくて困りました。が、そのうち日本も夫婦別姓になるのでしょう。
私は57歳で年寄りです。何しろ私が子供の頃は55歳で定年退職でしたから、子どもの頃は55歳はすごい年よりという感覚がありました。高校生の時、若い娘さんとオバサンがバスを待ちながら話していて、オバサンが娘さんに「いくつになったの?」と尋ねると、娘さんは「25歳です」と応えました。すると、オバサンは周囲の人々に絶対に聞こえるような大きな声で、「あなた、25歳にもなってまだ結婚していないの?」と高らかに歌い上げました。ビックリしました。実話です。今だと考えられないですね。でも、当時は遅くとも24歳までに結婚しなきゃいけない、みたいな「常識」が片田舎にはありました。
それが今は65歳定年からさらに働く時代になっていますし、適齢期という言葉もなくなりました。お若いから上記の事例はピンとこないものばかりだと思います。
このように、世間の感覚や何が当たりという「常識」はどんどん変わっていきます。あなたは今はお辛いでしょうし、必要な距離をとってお父さんのなさることを眺めていたらよいと思います。でも、そのうちお父さんのなさっていることが当たり前になっていくはずですから、長い目で見て、理解してあげてください。現状ではまだ世間的にはそうではないけど、あなたが悩むようなことではありません。