自分が誰を大切に思っているか分かりません
最近理由もなく、家族や他人に対して酷いことを思ってしまいます。そんなことは考えたくないですし思ったこともありませんが、実際に浮かんでしまう考えに嫌気がさします。
他人だろうが家族だろうが同じ人であることは変わらないので皆んな私にとって大事な人ですし、尊いです。でも嫌な考えが多くなるうちに本当に私は皆んな大事な人だと思っているのだろうか、家族や恋人でさえもそんな考え方をするなら実際にはそう思っていないんじゃないかと不安です。
なので出来る限り家族や恋人のためになるよう自分のことよりも優先して行動を取っているのですが、嫌な考えは一向に消えてくれません。
嫌な考えを行動に出したことはありませんし、出来るだけ他人や家族に気を配れるよう行動や言動には気をつけているので最近では喋ったりする方がほぼ無意識の状態なので嫌なことを考えなくて済むので気が楽です。
それでもやはり考えてしまうということは、心の底で他者を大事に思っていないからでしょうか?
乱文な上に長文で申し訳ありません…よろしければご教授していただきたく存じます。
やらねばいけないことを後回しにする、 他人に見返りを求めてしまう、 自分が得意としているものなのに自分より歳下の方のほうが優れていると嫉妬してしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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四無量心
こんにちは。
つがるさんが実際にご家族や周りの方にどのような酷いことを想像してしまうのか、具体的に分かれば良いのでしょうが、「他者を大事にしていない」ということはありませんよ。
>皆んな私にとって大事な人ですし、尊い
大変尊い考えです。
仏教では全ての人に『仏様の心』が宿っていると説きます。
では、仏様の心とはどのようなものでしょうか。
つがるさんは『慈悲(じひ)』という言葉を聞いたことがありますか。
苦しみも悲しみも相手の立場に根底から寄り添うことです。
この慈悲という言葉、本来慈と非は別の意味で、さらに続きがあります。
『慈』相手の幸せを願うこと。喜びを与えること。
『非』相手の苦しみを除くこと。
『喜』共に喜びを分かち合うこと。
『捨』誰にでも平等に行うこと。
四つ『慈・非・喜・捨(じひきしゃ)』を合わせて四無量心(しむりょうしん)と言います。
つがるさんは他人を敬い慈しみをもって接することのできる優しい方だとお見受けします。
他人の喜びを自分の喜びに。
中々簡単には行きませんが、心掛けて行動してみましょう。
気が付けば嫌な考えは、綺麗さっぱり消えてしまっているはずです。