おかしなこと
私は自分のせいで周りが全ておかしくなったと感じています。前までいた会社はトラブルまみれ、自分の家族もトラブルまみれ、病気をしがち、私はとんでもないことをしたのだと感じています。私という存在がいなければ、、これでもかというほどトラブルが起きます。悪霊に家や会社が取り憑かれたのは確信があります。どう償えば良いでしょうか。私がつれてきた霊であり、私の心がまえが汚かったのでトラブルは全て自分が生み出したものです。どう生きていけば良いのでしょうか。これ以上不幸が続くのは怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
キサーゴータミーの話
キサーゴータミーの話があります。
幼子を亡くしたキサーゴータミーは、お釈迦さまに「この子を生き返らせる薬をください」と訴えました。
お釈迦さまは「わかりました。その薬を作るには芥子の実が必要です」と言いました。
更に付け加えてお釈迦さまは言いました。「ただし、その芥子の実は今まで死者が出たことのない家からもらってくる必要があります」と。
そこで彼女は家々を訪ねました。「芥子の実を分けてくれませんか?」と。
芥子の実ぐらいであれば、香辛料としても使われるため、どこの家にもある代物です。 「いいですよ」と言ってくれる家はたくさんありました。
しかし、彼女は問います。「今までこの家から死者はでてないですか?」と。
すると家の人は答えます。「実はこの間おばあちゃんが……」と。
そこで次のお宅へ向かい、また同じように尋ねました。「今までこの家から死者はでてないですか?」
「実は何年か前に祖父が……」
「実は何年か前に夫か……」
「この子が生まれてすぐに妻が……」
「何番目の子供が事故で……」
「数十年前には父方の母が……」
「そういえば父方の母の姉が私の生まれる前に……」
そんなこと言えば、両親、祖父母、そのまた前……、死者の出ていない家なんてあるはずありません。 彼女は、各家を訪ね歩くうちに気がつきました。
「死は誰にでもやってくる。自分だけが特別不幸に見舞われたわけじゃない。誰もがそのような苦しみを背負っていたんだ……」
この説話は、人はだれも必ず死ぬのだ、というお話の時に使用しますが、ちょっとあなた向けに改造してみます。
「死者が出たことのない家」を、「会社のトラブル、家族のトラブルのない家」に変更して考えてみましょう。
どこのお宅も平和に過ごしているように見えますが、本当に何のトラブルもないお宅なんてありません。
あなたの身の回りでトラブルが起こるのはあなたの心がまえのせいでも悪霊のしわざでもなく、どこのご家庭でもよくある事なのです。
トラブルもあるかもしれないけど、楽しいこともあるんでないかい?そっちに目をやった方がいいんでないかい?
質問者からのお礼
光禪様
ご回答をいただき、誠に、ありがとうございます。文章全体を読んだとき、嬉しくて涙が出ました。こうやって言って欲しかったのかもしれません。キサーゴータミーの話を知れて、その話について考えたとき、そうだ本当に、トラブルのない家や会社などはないんだと強く思いました。私は綺麗事だけうまくいってることだけが善でありトラブルは悪と思っていましたが、トラブルはそれとしてちゃんと受け止めてあげると、なんだがそれと同時に色々な幸運に気づくのでした。やはりまだ罪悪感はありますが、身の回りにある幸運や楽しい事にも目を向けて、しっかりと生があることにも感謝して生きてゆきます。本当にありがとうございます。