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私がやったことはまちがいだったのか

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私は昨日、帰宅のため電車に乗っていたときのことです。

ある駅で男性に声をかけられながら、30代くらいの視覚障害者の男性(以下Aさん)が乗ってこられました。Aさんはたまに通勤などで見かける方でした。

しかしAさんが乗り込まれる際に、案内をしていた男性がぶつかってAさんはよろけ声をあげられました。

Aさんが私の目の前のつり革に捕まっていたこともあり、空席を教えようと声をかけ、肩に軽く触れました。

するとAさんは触らないでください!と私の手首を掴み上げ、僕は触られるのが苦手です、優先座席には座らないんです、と捲し立てられました。

いくら私が健常者でも、自分より年上であろう男性に強い力で手首を掴まれるというのは恐怖でした。

そしてなんとか席に誘導するも、不馴れなせいで触らないで!触らないでください!と連呼され、席についてからも僕は触られるのが苦手なんです、特に女性に触られるのが苦手なんですと文句ばかり。

初対面の方相手なので、Aさんの好みなどもちろん知りませんし、ましてこのようなことをするものはじめてでした。

触ることに関してならば私の非ですので良いのですが、性別に関して言われてしまうとどうしようもありません。

私はすみませんとしか言えず、その後車両を移るも恐怖と混乱から涙が出て止まりませんでした。

このような方が全てではないにせよ、怖くてもう二度と視覚障害者の方には声をかけたくありません。
正直男性、視覚障害者に対してトラウマになりそうです。

昨日から憤りと恐怖でまともに眠れません。
私の対応がおかしかったのでしょうか。
悪いのは声をかけた私なのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同事

こんにちは。

 せっかく親切にしたのに残念でしたね。
 そういえば高校生の時に、ホームから電車に乗ろうとしたときに、目の不自由な方が、扉ではなく、電車と電車の間のすきまに行きそうになったので、とっさに「こっちです」と声をかけ腕のあたりの服を引っ張って扉に誘導した事を思い出しました。(あとから服なんか引っ張って失礼ではなかったか、などとクヨクヨしました。多感な高校生笑)

 仏教の教えに「同事」があります。相手の気持ちになって考えるということです。

 人に親切をするのはとても良いことですが、断られたらすぐ引き下がる事ができたら良かったですね。だって目が見える人が相手だったら、断られたらやめますよね?心のどこかで「目が見えない人=かわいそうな人」などという心理が働いてしまい、相手の気持ちまで考えずに、過剰に親切をしてしまった感があると思いました。

 私の想像ですが、実は目が見えない方は、電車などに乗るときは、いつもの場所から動きたくないのではないか、と思います。なぜかというと場所を動いてしまうと、出口の扉の位置がわからなくなってしまうからです。そして、ドアから出た後に改札口はドアの右にあるのか左にあるのかわからなくなってしまう。このような理由から目の不自由な方は普段から扉付近で立って乗車していると想像しています。こうやって想像してみるのが「同事」です。

 体の不自由な方に声をかけるのはとても良いことです。あなたのような方がいらっしゃるのはとてもありがたい事です。ありがとうございます。これから声をかけるときは「何かお手伝いできることはありますか」など、相手の意思を確認してからにすると良いと思います(※声をかけるのは困っている様子の時だけにしましょう)。必要なければ何もしないことをも親切と思い、親切心を押しつけないようにしましょう。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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慈悲のかわりめ

う〜ん、なんともなんとも歯がゆい話ですね。

慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。『歎異抄』

あなたは視覚障害者が難儀をしている姿を見て、思いがけず【慈悲】の心を発動させた。これは大変素晴らしいことです。しかしながら、慈悲にも大別して二種類あるのです。「聖道の慈悲」つまり、我々人間の起こす慈悲というものは、方法論が悪かったり邪心が混ざってしまったりして、どこかどうしても徹底しきらない。だから、「浄土の慈悲」つまり念仏してあなたが早く仏(完成された人格)になり困っている人を最後までバッチリ助けてあげられるようになりましょう、と親鸞さんは仰ったそうです。

このたびは、せっかく助けてあげようとしたのに、不本意な結末になってしまいちょっとに残念だったのですが、まぁそういうこともありますよ。次にそういう場面に遭遇した時は、今度こそもっとうまく助けてあげられるといいですね。そして、いつか他ならぬあなたこそが仏様になって、それこそ自在に思う存分困っている人たちを助けてあげられるようになってください。

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【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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質問者からのお礼

丁寧なご返信、ありがとうございました。

ここ数日頭を悩ませておりましたが、こちらを読ませていただいてすこし気持ちが軽くなりました。

私の中の後悔について、したこと自体は正しかったかもしれないけれど、やり方が他にもあったのではと落とし所が見つかり、またこういう考え方もある、と視野が広がったようです。

今はまだ少し怖い気持ちもありますが、心の整理が付いてまた同じような場面に出くわしたときには、もう少し余裕をもって、相手を尊重した手助けが出来るようになればと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ