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「欲」と「向上心」の違いは何ですか?

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有り難し有り難し 27

こんにちは。いつもお世話になっております。

人の人生において悩みの種となるのは、大抵が「欲」であると聞きました。
私も今まで、その「欲」によって何度も悩んで、落ち込んできたように思います。

しかしその「欲」と「向上心」の違いが最近分からなくなってきています。
例えば、私は絵を描くことが趣味なのですが、
自分の絵が評価を受けると、もっとここを工夫してたくさん評価を貰えるようにしよう、練習を頑張ろう、とたくさん努力するのですが、
いい評価が貰えなくなると落ち込んだりイライラしたり、自分を責めたりしてしまいます。
それを繰り返していると、何のために絵を描いているんだろう…という気持ちになってしまい、最後には絵を描くのが嫌になってしまいます。

絵に限らず、人間関係等もそうです。
もっと人間関係を広げたい、広げるために色々な場所に行ってみよう、もっともっと…
それが大きくなり、疲れてしまうのです。

これは「向上心」が途中から「欲」に変わってしまったということですか?
それとも私が向上心と思っていたことは向上心では無かったのでしょうか。

新しい場所に飛び込んで、どんどん前に進んでいくことはいいことだと思うのですが、
最終的にいつも悩みのタネになってしまうことがとても辛いです。

何かこのことについてアドバイスを頂けないでしょうか。

2019年9月21日 11:19

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

諸行無常

ご相談拝読しました。お悩みですね。

「欲」とか「向上心」とか色々ありますが、心というのは固定的な実体があるわけでなく縁(その時に見たもの、聞いたもの、感じたものなど)によってコロコロ変わるということです。

諸行無常は真理です。変わらないものは何一つないということ。心も例外ではありません。なので人間は何一つ徹底できないのですね。

しかし、そのことに頷くならばその「欲」とか「向上心」にただ悩まされるだけでなく、そのことが活かされてくるのです。

モヤモヤはなくなることはありません。でも自分の事実に目覚めたならばそのモヤモヤを引き受けていける。

「向上心」を「向上心」として徹底できるような自分ではないということです。そんな自分ではないのに、自分はそうあるべきと思うと自分の思いに自分が悩む。自分が思う自分以前に、今の自分が既にどういう自分がという事実を学ぶのが宗教です。

「何のために絵を描いているんだろう…」と自問自答するのも本当にその道を進むならば大事なことでしょう。でもすごく苦しいとは思います。だからそういう苦しいのは都合が悪いから遠ざけてスッキリしたいと思うのも人間ですが、そうはいかないのです。

ならば徹底してモヤモヤしていきましょう。そう腹がすわればそのモヤモヤは苦しくとも虚しくはないものになると思いますよ。

2019年9月21日 16:12
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

欲(貪り)

欲の煩悩、貪りには、快楽・悦楽が伴います。
楽しい、気持ち良い、うれしい、美味しい、テンション上がるなどによって、
「もっともっと」「まだまだ続けたい」というような気分になっているときは、欲・貪りが発生しています。
向上心で、たとえば野球の投球練習をするとします。
そのとき、投球練習が楽しすぎて投げ込みすぎて肘を痛めてしまうとよくありませんよね。
楽しい、気持ち良いという気分に流されて失敗したりしてしまうのは、欲の煩悩ではないでしょうか。
私たちには誰にでも、そのような欲の煩悩がありますね。
また、何かをしたいという欲は、苦しみでもあります。
快楽も、本質的には「⚪⚪したくてたまらない」「⚪⚪せざるをえない」という苦しみなのではないでしょうか。
絵が評価される喜びを求めるのも、「欲」だと思います。

2019年9月21日 20:10
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
御二方のご回答を読ませていただき、とても納得しました。

モヤモヤを無くすことはできないが、引き受けていくことはできる。そう言っていただき、道が開けたような気がします。
モヤモヤから逃げたくなる時は何度もありますが、それがもし自分の行きたい道であるなら、思い切ってそのモヤモヤを受け止めていこうと思います。

また、「楽しい気持ちに流されて失敗してしまうことが欲である」とのことですが、自分に当てはまることが多く、とても納得しました。
自身の行動について振り返る時、欲に振り回されすぎていないか、毎回問いかけていきたいと思います。

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現代…人類の煩悩が増長し果てた姿としか…

私は12歳時、日記に『人間はそろそろ他の生き物たちに恩返しする時代にならなければ…』と書いていました それから半世紀、増々自分がヒトである事に折り合いがつかぬ思いです 以下の《54文字・16篇》、心・頭に充満している一端です 立場の強い者は 何事も許される人間界 地球界では我が物顔の人類がズタズタに… つくづく思う、同じことだと 『いいないいな人間っていいな』との歌詞にはただ愕然、だって 真っ逆さまではないかしら、昔話が伝える心とは 人間には、終生効果の続く麻酔薬が生まれながらに深く注入されているらしい 他の生きものの痛みを思いやる感覚に 夜景… 異常細胞が光っているとしか見えまい 何百万種もの中の一種属の生物だけが傍若無命に蔓延っている、この星 ゴルフ場… 他星人に毟り取られたとしか思えまい 命に満ち溢れ、その痛みにも満ち満ちた表土を、よもや 自らとは… こんな街なかに○○なんて珍しいねって… そこに至る迄には塗炭の苦悩 文字通りの決死行動、人の心の至らぬ草陰に 水飲み場さえ奪っておいて、どう生きていけと… 縁の下も無くなった、冷たく 熱い、人工物だらけの街なかの荒野で 無意識の中に、汎ゆる生き物を生きとし生ける仲間と見てきた私たち 今や[この天体は人間の星] とや、無意識の中   目に見える仲間たちの激痛を無視し続けてきた者たちの末路… 目には見えぬモノによる前代未聞の悲劇、遅すぎた懺悔 他に先んじる事を是とする社会は 破滅への道もまっしぐら 他の生き物を道連れにしない術を、先ず探求して下さい 「人間だけは超別格の存在」と、美しい理論を構築せねば 流石に後ろめたくなってきたのか…?僅か数十世代前 疾うに成長期は終わったどころか、もはや取り返しのつかぬ処… 自分より虫たちの方が偉い、と心底思えている者の直感 お月様には響いている、無数の命の断腸の叫び それが聞こえぬ者達に平和など… 人類がそも、バブルでしょ?お月様 人間社会の諸問題の元凶は須らく超強大な権力 地球の大問題の源は、食物連鎖の域外に居るが如き人類の強欲傲慢に 心の中で深く頭を垂れ、自ずと手を合わせる これが一番強い立場にある者の真の姿では? 人間界でも地球界でも 12歳なりの言葉だった「恩返し」 現状は大きく逆に傾くばかり 津波のような人類 せめてせめて 心の中で…

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有り難し有り難し 3
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人は殆ど悪の存在で、とても利己的です。 攻撃的なチンパンジーと変わらないDNAです。 知らない人を家にあげたら何か盗まれるだろうし、お金を貸したら殆ど戻ってきません。 人類の大半はずーっと何千年も争いをしています。 ネットは常に罵詈雑言の嵐だし、毎日悩み相談サイトでは人間関係で悩んでるし。 男女対立や女性の浅ましい感情などが毎日のように展開されています。 こちらハスノハでも、結構わたしに対して"病気"を理由に間接的に攻撃されますし、どんなに徳を積んだ偉人や芸能人でも攻撃的な人ばかりです。 癌医学の功労者は差別主義者だし、DNAの発見者も差別主義者です。 毎日のように芸能人が脱税とか問題発言とか。 人間って悪だなと思います。 それでもみんな周りの話を聞いてると他人を信頼しているそうです。 私は人に期待しない事を心がけていましたが、もはやそれですら心を防御できません。 世の中悪しかいません。 善の心なんてないですよ、善があるのなら私に金持ちの人が無償でお金やらなんやらを与えるはずですし、大半の人は悩んでないし、毎日楽しいはずです。 感謝して悟るなんてないですよ、感謝して他人を優しくしても仇でしか返されませんし、いい事なんてありません。他人は悪です。 結局悟る道なんてなくて、他人は悪であり、どんなに学ぼうが人は悪であり、自分が悪であると悟ってもそこから善になる事はないし、人は攻撃的なので感謝は無意味だし、親切は仇で返されるし。。。 このまま人間関係を維持しないといけないのが辛いです。 人間関係を維持しないと生きていけないので尚更辛いです。 どうすればいいのでしょうか?それでも感謝して親切していくしかないのですか? 「ゆっくり毎日善行を積めばいいのです。」と言われそうですが私は小さい頃からそれをやってて仇で返されたりするのでそれが信じられません。 仏教では、この場合はどうすればいいのですか?それでも他人に感謝ですか?

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最近、心理学に基づいた心の扱いについて学ぶ機会を得ました。 そこであったのが、人間は全ての事象に対し、何かしらの意味を付けたがる生き物なんだ、という事です。 確かにその通りだな、と思ったのです。 例えば 「あなたは笑うと可愛いですね」と言われた時に、 「笑わないと自分は可愛くないのか?」 「おっさんに可愛いなんて馬鹿にしているのか?」 「自分は笑っていないといけないんだ」 「あ、自分は可愛いんだ。ありがとう」 という様々な意味を付けると同時に反応が沸き上がる、という話です。 同じ言葉なのに、それを言う相手、それをいわれた状況、言われた自分自身、などから様々な意味が行われます、 事実は、「あなたは笑うと可愛いですね」と言われた。ただそれだけ、なのに。 質問は、なぜ人間はこんな存在になってしまったのでしょうか、という事です。 もっと単純に受け取ればいいのに。人はウソをつくからなのか? と思ってしまうのです。 人が意味付けする事に、「なぜ?」を持ち込んでもしょうがないのかもしれませんが。 その理由がもしあるのであれば、人がもっと楽に生きる事のヒントが生まれないかな、と思ったのです。

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他人とは何でしょうか

子どもの頃から親、クラス、教師など他人と関わるのに疎外感を感じてきました。 その時の自分を表現したかっただけなのに、杭として飛び出れば、やっかみやいじめや、利用してやれ、無視してやれみたいな報復が待っており、世の中の大多数の他者とは分かり合えない、という思いが形成されました。 そういった「分かり合えない、わかってほしい」という思いと他者との関係は大人になってもたいして変わらず、そういった渇望に付け込まれて、やりがいの名の下にいいように働かされ、精神を病んで休職してしまいました。 自分が、他人と仲良くなるかどうかは別として森羅万象の相互関係性のなかで生かされていることは理解できます。他人の存在がなければお米を食べることすら不可能です。 それでもやっぱり、休職から社会に戻って人と関わるのが怖い。というか、自分の中に他人を位置づける場所がないのです。 他人と折り合えない、悲しい、深く傷つき、自分さえもそれを癒せない。ましてや外の世界に救いなんて無い。 また、わざわざ傷つきに戻るのだろうかと... そこで、そもそも自分そして他人とは何かということを考えています。 仏教では、自分さえも固定的な本質を持たない、相互関係性でその瞬間ごとに成立しているただの現象であると説いていますよね。 では、同じような原理で発生している「他人」、例えばジャンケンしようとして相手が何を出すのかすら観測不能なまでに隔絶された「他人」というものについて、仏教はどう説明しているのでしょうか? 教えてください。

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人間であることに違和感があるような者と話をして頂けます処は.

ネットにて、今、全く初めてこちらさまのご存在を存じ上げたばかりのところです。 「自己紹介」等の欄にお書きしました通り、私の中には、小学生の頃から、人間の傲慢さがどうにも許せない、ありえない、という思いが深く根を張っております。   このような感覚をもって、現世に人として生きていくことこそありえないわけで...  似通った感覚をお持ちの方がいらっしゃるのでは、と「引きこもり」の方たちの電話相談にはおかけしたことはあるのですが、私の話を一方的に聞いて頂くだけになってしまいました。  あまりにも恵まれた時代と環境に生まれ育った故の所産であることとは自覚しておりますが、この人間社会に長らえるには、自分の感覚を 鈍く鈍~く、何も感じないように... と、感性を抑え込むしかないようで...  現在、人類が いよいよ行き詰まっている、その大もとの根っこにあるものは、我々が、ほかの生き物たちを、日々、凄惨な生き地獄に突き落としている、その自覚さえなくなってしまっているという大問題であるとの思いが募っています。  ほかの生き物たちの激痛に思いをいたせない生き物の社会に、戦争がなくなるはずがない、とも学生時代から確信しています。    特に日本人は「わたしたち」という言葉には、あらゆる生きものたちを含む、という感覚が まだ残っていた(人が多かった)と思われますので、取り返しのつかないような焦燥感にも苛まれます。  西洋の、あのあまりにも人間中心の文化を思いますに.. (たかだか100世代も遡らない頃に) [人間は他の生物とは隔絶した、超別格の存在である] という理論を、きっちりと美しく構築しなければ、さすがに後ろめたくて生きにくくなってきたのだろうか? 我々農耕民族とは違って... などと考えています。  実際に困っていることは、少しは現世と関わりを持つべく、細々と活動していることの中に、[感性を抑え込]んでしまっては成り立たないことが大いに生じることとでございます。  このような者(自分を含め 全ての人間に非礼かと思われますので..)と話をして頂けますような場などおありでしょうか?  不遜なことを申すようですが、「世捨て人」「すきもの」などと呼ばれていた方々の中には、私の感覚に近いお方もいらしたのでしょうか..? ということも、一度お尋ねしたいと思っておりました。

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