「欲」と「向上心」の違いは何ですか?
こんにちは。いつもお世話になっております。
人の人生において悩みの種となるのは、大抵が「欲」であると聞きました。
私も今まで、その「欲」によって何度も悩んで、落ち込んできたように思います。
しかしその「欲」と「向上心」の違いが最近分からなくなってきています。
例えば、私は絵を描くことが趣味なのですが、
自分の絵が評価を受けると、もっとここを工夫してたくさん評価を貰えるようにしよう、練習を頑張ろう、とたくさん努力するのですが、
いい評価が貰えなくなると落ち込んだりイライラしたり、自分を責めたりしてしまいます。
それを繰り返していると、何のために絵を描いているんだろう…という気持ちになってしまい、最後には絵を描くのが嫌になってしまいます。
絵に限らず、人間関係等もそうです。
もっと人間関係を広げたい、広げるために色々な場所に行ってみよう、もっともっと…
それが大きくなり、疲れてしまうのです。
これは「向上心」が途中から「欲」に変わってしまったということですか?
それとも私が向上心と思っていたことは向上心では無かったのでしょうか。
新しい場所に飛び込んで、どんどん前に進んでいくことはいいことだと思うのですが、
最終的にいつも悩みのタネになってしまうことがとても辛いです。
何かこのことについてアドバイスを頂けないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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諸行無常
ご相談拝読しました。お悩みですね。
「欲」とか「向上心」とか色々ありますが、心というのは固定的な実体があるわけでなく縁(その時に見たもの、聞いたもの、感じたものなど)によってコロコロ変わるということです。
諸行無常は真理です。変わらないものは何一つないということ。心も例外ではありません。なので人間は何一つ徹底できないのですね。
しかし、そのことに頷くならばその「欲」とか「向上心」にただ悩まされるだけでなく、そのことが活かされてくるのです。
モヤモヤはなくなることはありません。でも自分の事実に目覚めたならばそのモヤモヤを引き受けていける。
「向上心」を「向上心」として徹底できるような自分ではないということです。そんな自分ではないのに、自分はそうあるべきと思うと自分の思いに自分が悩む。自分が思う自分以前に、今の自分が既にどういう自分がという事実を学ぶのが宗教です。
「何のために絵を描いているんだろう…」と自問自答するのも本当にその道を進むならば大事なことでしょう。でもすごく苦しいとは思います。だからそういう苦しいのは都合が悪いから遠ざけてスッキリしたいと思うのも人間ですが、そうはいかないのです。
ならば徹底してモヤモヤしていきましょう。そう腹がすわればそのモヤモヤは苦しくとも虚しくはないものになると思いますよ。
欲(貪り)
欲の煩悩、貪りには、快楽・悦楽が伴います。
楽しい、気持ち良い、うれしい、美味しい、テンション上がるなどによって、
「もっともっと」「まだまだ続けたい」というような気分になっているときは、欲・貪りが発生しています。
向上心で、たとえば野球の投球練習をするとします。
そのとき、投球練習が楽しすぎて投げ込みすぎて肘を痛めてしまうとよくありませんよね。
楽しい、気持ち良いという気分に流されて失敗したりしてしまうのは、欲の煩悩ではないでしょうか。
私たちには誰にでも、そのような欲の煩悩がありますね。
また、何かをしたいという欲は、苦しみでもあります。
快楽も、本質的には「⚪⚪したくてたまらない」「⚪⚪せざるをえない」という苦しみなのではないでしょうか。
絵が評価される喜びを求めるのも、「欲」だと思います。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
御二方のご回答を読ませていただき、とても納得しました。
モヤモヤを無くすことはできないが、引き受けていくことはできる。そう言っていただき、道が開けたような気がします。
モヤモヤから逃げたくなる時は何度もありますが、それがもし自分の行きたい道であるなら、思い切ってそのモヤモヤを受け止めていこうと思います。
また、「楽しい気持ちに流されて失敗してしまうことが欲である」とのことですが、自分に当てはまることが多く、とても納得しました。
自身の行動について振り返る時、欲に振り回されすぎていないか、毎回問いかけていきたいと思います。