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この混乱をどうすれば

回答数回答 1
有り難し有り難し 16

結婚30年近くになります。10年前に不倫をし一度は別れたと言ったものの、徐々に鬱のような状態になって「一人になりたい」と突然別居を強行し5年になる夫から離婚調停を申し立てられました。
年に数回、帰ってくるときも出て行ったときに持って行った服を着て戻るなど、女性の影を感じさせるようなこともなく、鬱なのだと信じていた私は驚きました。
理由は性格の不一致ですが、弁護士に相談すると「昨今、別居期間が長いことで婚姻生活の実態がないとして有責配偶者からの離婚請求も裁判で認められつつある、ご主人は計画的にそれを行われたのでしょう」と言われました。夫の帰りを待って子供達、義両親を守ってきたつもりの私はにわかに信じられませんでしたが、第一回調停で、夫は不倫を認め、別居後によりを戻したことにも言及したようです。

信じていた夫、夫を信じていた自分、、、何もかもが分からなくなりました。失意の中で調停に挑まなければならないことも辛いですが、何を信じていいか軸が折れた感じでその後の人生に希望が持てません。

毎日苦しくて、死んで楽になりたいと思いますが、子供達のことを思うとそれもできません。子供は夫の行動に大きくショックを受け、今後親と思うことができない、私までいなくなったら親がいなくなる、だから頑張って生き抜いてくれ、と言ってくれます。こんな私でも愛し、支えようとしてくれる子供達が本当に有り難いです。

しかし、それでもなお、毎日、自責や後悔を口にする私に子供達も疲弊してきています。調停での様子で、夫は私の知っていた夫で亡くなってしまったことを思い知り、彼に対する執着でこんなに苦しいのではないと思います。一体、自分は何を苦しんでいるのかも分かりません。

このままでは私たち皆不幸になるばかり。なんとか元気を取り戻して前向きに生きていかねば、と思うのですが、その方法が見つかりません。

時折、胸の奥が無性に痛く、苦しく、ナイフでも突き立てて痛みの塊を取り出したいという衝動にかられます。

どんなことでもよいので、ご教示ください。お知恵をお貸しください。お助けください。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫から離れる覚悟を持つ 追記あり

質問拝見しました。
何度も裏切られた心中お察し致します。
さて、信じていたものに裏切られる事にショックで心が傷付いてしまったご様子、信じていた分反動もでかいですよね。
文面上貴女に落ち度はないと思います。貴女は悪くいですよ、安心してください。
貴女は夫を許し、信じ、子供を育て、義両親の面倒を見る。
立派なお人柄です。ただ、今まで滅私奉公に近い形だったのでどうしていいのかわからなくなってしまったのではないでしょうか?
自分の時間を削り他人に尽くしてきたからこそ見返りがなくて落ち込んでしまってるのかなとも見受けられます。
貴女は出来る事を行い、他所から見ても立派な方です。貴女はちゃんと家庭を守ったのは事実なのですからそこは自信をもってください。

掛けた時間と誠実さのお返しが裏切りなので行き場のない感情があるかと思いますが、貴女に今必要なのは心の休息ではないでしょうか?
妻として、母として頑張った貴女。しかし、優先順位を変えて一個人の『私』を一番にしてください。
そうすることで今までとは違ったものが見えてくると思いますし、また、心の在り方も変わってくると思います。
一日も早い心の安寧祈念致します。

ここから追記です
お返事ありがとうございます。
『私』を大切にするとは与えられた役を降りて個人として本当に思うことを行うことです。
確かに妻として母として、良き人間であれば周りからも称賛されますし、貴女にもやりがいが生まれるでしょう。
しかし、その称賛、やりがいが今となっては役から抜け出せず、『私』という存在が希薄化してしまっているのです。
心の安寧とは様々な欲から開放された状態です。
欲があるから人は苦しみます。
あれが欲しい、こうなって欲しい、羨ましい等などですね。
貴女はまず自分のしたい欲を出してその上でそれらが虚しいなと、執着しても仕方ないと思えたとき欲が薄れ、心の安寧が訪れます。
まだまだ未熟ですが、何度でもご相談なさってくださいね。
もう一度言いますが貴女は十分に頑張ってます。ですから自分自身にご褒美をあげて褒めてあげてください。

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有り難し
おきもち

日蓮宗の僧侶をしております 祖山での修行、荒行を終え現時点での精一杯でお...
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質問者からのお礼

滅私、という言葉にはっとしました。

子供達を守る、夫の両親に尽くす、それらは総て自分の心から出た行動ですが、その中に「夫に振り返ってもらいたい、よく思われたい」という欲が全くなかったか、というと自信がありません。それもあって夫中心の自分になってしまっていたのだろうという気もします。

夫のことで不安定になってしまった思春期の子供達を守って暮らす生活は、心配事も多かったもののそれまで以上に絆が強まり、母親としての存在価値を確かめる日々であったかもしれません。年老いた義母に伴い、義父の病院通いについて歩いた日々が思い出されます。私が不安に思うのはそういった居心地のよい過去との決別なのかもしれません。

一個人としての『私』を一番にする、それがどういうことなのか今は全く分かりません。それが不安の根源なのかもしれません。

心の安寧、、、その意味は今の私にはよく分かりませんが、とても心に響きます。

そのようなものを得られる人生が生きてゆけたらいいと思うのですが、、、

迷いの中で手探りな状態が続くと思います。

どうか、今後ともお知恵、お力をお貸しいただければ幸いに思います。

武田正幹さま 追記をありがとうございます。

「やりがいが今となっては役から抜け出せず、『私』という存在が希薄化してしまっている」とのお言葉に、私にはずっと「自分」がなかったと感じます。若くして結婚して未熟なまま私を育てた母に過度の期待と過干渉を受け、自分でも気づかないうちに「親の喜ぶこと」を選んで生きてきた気がします。そこから私を引っ張り出してくれた存在が夫でした。ところが、家族として暮らし、信頼が募るうち、「自分」がないので夫に依存するようになったのだと思います。不倫に始まる夫の一連の行動の遠因かもしれません。

私の欲は、ありのままの私を受け入れて欲しい、愛して欲しいという欲だと思います。

今、子供達が疲弊しているのもそのせいだと思います。子供達は、こんな私でも精一杯ささえ、大切にしてくれています。父親から捨てられるような思いで辛く、苦しいのは子供達なのに、私はその子供達の上にまだ覆い被さろうとしているような化け物です。

愛の本質がどのようなものかわからないので、実感できず、もっともっとと要求してし、相手をつかれさせてしまうのだと思います。

求めることを止められない自分、そのことで周りに疎まれてしまう、それを自己嫌悪する悪循環です。

大切な人を苦しめて、自分を苦しめていくこの状態から、どうすれば抜け出られるでしょうか

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