こんにちはm(__)m
特別な言葉をかけてくれなくても、
ただ覗いて話を聞いてくれるだけでいい。
味方でいてくれるだけでいい。
黙って背中を支えてくれて、
黙って背中を押してくれる人。
そんな人がいたらいい。
そんな人になりたいです。
いつも大好きな人たちが、自分にしてくれてるみたいに、私も大好きな人たちの役に立ちたいし、喜んでくれることをしたいです。
中々うまくできなくて、結局助けてもらってるから、どうしたらちゃんと役に立てるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【回向発願心】自他ともに極楽へ
一杯のお茶。
お盆やお彼岸などで、檀家さんのお宅にお邪魔して、ご先祖様のご供養をして歩くことを、棚経(たなぎょう)といいます。
今年もお盆にたくさんのお宅にお邪魔して、ご先祖様のご供養をさせて頂きました。
暑い最中なので、お邪魔したお宅からは、「暑い中、ご苦労様です。」と一杯の冷たいお茶を出して頂きます。
私たちはそのお茶を有り難く頂き、次のお宅に向かうのですが、考えてみれば、棚経を回っている私たちは、出して下さったお茶を頂き、喉を潤すことで次のお宅でも、大きな声でお経をお唱えすることが出来て、その家のご家族からも喜んで頂ける。
お茶を出して下さる方は、目の前のお坊さんに、暑い中来て頂いて、ありがとうという気持ちと、喉を潤して欲しいというお気持ちでお茶を出して下さるのですが、実は、出して下さったお茶は、目の前のお坊さんにだけでなく、次のお宅でも、またその次のお宅ののためにもなっている。
実は自分が気がつかないだけでも、何かの形で役に立っていることって色々たくさんあるのだなぁ、と気づくことが出来ました。
人に知られようと知られまいと、誰かの役に立てることって、素敵なことですよね。
人の気持ちに、そっと寄り添えるような坊さんに、私もなりたいと思います。
質問者からのお礼
三浦さん、転落院さん
役に立てるか、わからないですが、喜んでもらえるよう努力したいです。
回答ありがとうございますm(__)m